春先は心身ともに不安定になるが、そういう中での身体へのアプローチは大きな役割を果たす。
言語以前のこと、言語化できないことが身体を通して発現される。
心身のつながりを身をもって実感される方が増える。
心のあり方を変えるのは難しいけれど、
身体の状態は自分で変えられる→気持ちも変わるという体験となる。
地味だけれど、そういう積み重ねを体験してもらうと、心身との付き合い方が変わってくる。
色々な時があって当然、ということを感じるようになる。
泣くことも笑いも含めそれをグループで共有するということのチカラ。
場のチカラ、そのものである。
こういうことが臨床の大きなベースであると思うのよ。
だから臨床はとても好きなのだけれど、街場で行っている自分のWSも同じように思っている。
元気でない自分も受け入れていく、自分にとっての疲れ方を見ていく、心身のクセを観察していく、などなど、
自分のことはちゃんとわかっていないことが多いから。
無理無理頑張るのが癖になっている人が多いから。
無理と我慢が重なり人は病になる。病になる手前でなんとか踏みとどまっている人も大勢いる。
病であってもなくても、自分へのケアはとても重要だ。そのスキルはいくつあってもいい。
それは自分自身をジャッジせずに見ていくことにもつながる。
もうダメだあ、と思う状態は間々あっても、ダメな人間というのはいないよ。
この仕事ができて本当に良かったな、と思えるのも、人の身体の素直な反応が感じられる時があるからだ。
緊張している時、嬉しい時、悲しい時、様々な状態の身体がある。
そこに気づけるかどうかが大きな分岐点だが、
それを充分に感じて、真摯に向き合っている身体は美しいし生きている。
自分に嘘をつくのはもったいないし
自分のことを見ないのも本当にもったいない。
いつも思う。
闇がたくさんありそうでいやだ、
と大抵の人はいうけれど
闇の中にこそ、光り輝くものがあることが多いのだ。
今生この一回の人生を、隅々まで大切にするには
欠落や欠損も含め、自分のトータリティを受け入れていくことだ。
でも身体は嘘をつけないよ。
どんなに表面を取り繕おうとも。
4/1、WSを行います。
お申込み受けつけております。
写真は今年のお花見散歩より。