原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

がんになった時に感じたこと、行なったこと〜魂への旅路として

2021-08-26 | 生と死を考える
このところ 大きな病になり 投薬治療をしたり手術をしたりという方が
自分の身の回りで増えているので
(コロナ関連ではない。)
思ったことをつらつら書いていきます。

私事ですが
2006年初夏に父の末期がん(肺)が発見され
いろいろな治療をしたものの暮れに他界した。
翌年春に実家売却のため片付けをして
やっと一段落したのち 2007年5月に検診に行き
自分の乳がんが見つかった。

区の検診で「怪しい」と言われ
乳がん専門のクリニックで再検診をし そこで告知を受けた。
そのDr.が「厄払いと思って取っちゃいましょう」 と言ったことを
帰りに友達に電話して話したことを 覚えている。
今思うと呆然としていた。


これは手術が必要なことと思い
住まいから通えそうな範囲で いろいろな病院を調べた。
もちろん、その専門医がいるところで。
(内科でも外科でも精神科でも
具合が悪い状態でも通える範囲、というのがとても大事です)

そして病院を探してここならいいかな、 というところを見つけて受診。
クリニックからの紹介状はあったものの 初心は長時間待ちで
診察を受けたのはもう夜だった。 (主治医、大変だったね…)

…とここまではツイッターで書いたのですが
自分のストーリーが長くなりそうなので端折ります。

半年ほどの間に、インプラントを入れる術式を含め
手術を3回しました。
もちろんその度に入院です。

大胸筋を筋膜から剥がし、
筋肉と筋膜の間にインプラントを入れる手術も
含まれていたので
術後の痛みとリハビリはかなり時間がかかりました。

幸い、その時点での転移はなかったのですが
ホルモン分泌を止めるための投薬と月1の注射で
筋力や体力の低下だけでなく
頭痛、極端な冷え、ひどい抑うつなど
様々な症状が出現し
かなりきつい状態となりました。
がんを摘出してもらったのに
気づいたら「死にたい」と思っていたのです。
カーテンを開けるのも辛く、
ベッドから出られない日が続きました。


病の辛さというのは
突然のようにやってきて、色々決めていかねばならないこと
どうなっていくのか未来が見えないこと
術後のダメージの予測ができないこと
ということが大きいのです。

そして難病やがんの場合は
治るためのあらゆる手立てと
死に至るかもしれないのでその準備をすることと
両方を考えなければならない、ということがあります。

術後、ある程度経過してくると再発の不安も出てきました。
その頃、周りでもがん告知をされた同世代が何人かいて
彼らは他界していきました。それもつらかった。

しかし
告知されてから一つだけ決めたことは
自分の中からどんな感情が出てきてもそれを味わいつくす
(見ないふりをしない/ごまかさない)
ということでしたが、
それは同時にそれまでの自分自身の振り返りにつながりました。

病になった時、というのは棚卸しの時期です。
どなたにとっても。
来し方行く末を思わざるを得ない時なのです。

それまで働いてきてくれた自分の身体への感謝の時間を
毎晩のように持ちました。(お風呂で!)
お風呂ですと
自分の身体に直に触れることができること、
誰の邪魔も入らないという点がベストなのです。

ホ・オポノポノを意識していたわけではありませんでしたが
それは同時に今までのことを身体に謝ることでもありました。
仕事に全てのエネルギーを注ぎ、
かなり無理してきたことも深く感じました。

様々な気持ちが入り乱れ
言葉にならない思いが浮かび上がり
それはいつも涙という形で表出されました。
あんなに泣いた時期は生まれて初めて、でした。

前年に父の死も体験していたけれど
それとは全く違うリアリティを持って
「自分の死」というものが立ち上がってきました。
なんとも言葉にしがたい時間の中、
自分の中の様々なものが死んでいきました。

苦しく辛い時でしたが
この時をしっかりと経過したことが本当によかったと思っています。
(今はまたそろそろ更なるステップを昇るための何かがやってきそうですが…)
がんという病を体験したおかげで
気づかなかったことが目に見え、感じられるようになったこと。
それに対してさまざまなことに本当に感謝の気持ちが溢れてきました。

ここを経過して今の自分がある、と思っています。
そして「死」はいつでも「生」の隣にあるものと感じています。
それが当たり前なのだと。
その深さは年々身に沁みています。

現在病の淵にある方、
特に手術を控えている場合は
術後の時間を
「今まで生きてきた時間軸」ではなく
今までになく「時間を忘れる」時になるといいなと思います。
病の養生には
焦りや思い煩うことを極力排し、
ゆったりとしたときが一番必要なことですから。

大きな地球や宇宙の時間の中で
全ての生き物は死と再生のサイクルを生きているということ。

人間として生まれるということは
様々な感情、経験を含め
それらを「生きる」ことが今生での「学び」ということ。
好きなことや大切なことがよりはっきりとわかってくる時でもあります。

「病はギフト」、という言葉を
がん以来お世話になっているあるDr.からいただきましたが
ギフトにできるかどうかはご自身の内側の経過次第と思います。

辛さや痛みも
ご自身の生が豊かな彩りを持っていることに
再び気づくためのステップになることを
心からお祈りしています。

病というのは魂にたどり着くための旅です。
癒える病も、死の淵にある病も。

どうか、どなたも良い旅を。











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