小さい頃の写真で、昼寝をしている姿を撮ったものがありました。たぶん、父が子どもの寝姿というのを撮ってみようと思ったんでしょう。昔は写真って、大変なことだったのに、それでも撮ろうという気持ちが動いた。
私は、今みたいに小さく縮こまっているんではなくて、大の字になりたかったんだろうけど、股関節が柔らかだったのか、大の字になるはずの下のはらいの部分が閉じて下で丸を書いていました。アシが仰向けのカエル状態になっていました。
昔から、ここだけは柔らかくて、今だって両足の裏をくっつけてアグラをかけてしまう。他のところはカチコチなのに、何とか昔のままにこれています。でも、油断したらすぐにカチコチにはなるんでしょう。これからの人生のために、もう一度カラダのあちこちを見直して、ゆるくしたり、負荷をかけたり、ゆっくり動かしたり、そんなことをしていかなきゃいけないんです。
でも、これまた口先だけで、何もしないでパソコンで遊んでばかりだから、目は酷使して、腰は痛くなり、両足は人魚さん座りをしている。いつも指摘されてるけど、普通に背骨を真っすぐできなくて、カラダをひねっていないと立てる姿勢が維持できません。こりゃ、大変だ。あちらこちら弱ってて、気が付くと小さいオヤジになってる気がする。
そんな私、昔はカエルみたいな足の形でひっくり返って寝ていた。だったら、平泳ぎは得意? いえ、ずっと小学校の時から、プールがイヤで、イヤで、困ってたんでした。
小四まで、学校にプールはありませんでした。だから、夏の一時期、遠くの小学校まで歩いて行って、そこでプールの授業があったような気がするけど、全く憶えていません。遠くまで行かされた、というのは知ってるけど、そこでどんなことがあったのかは知らない。たぶん、水にビチャピチャさせてもらって、それで終わりだったのかもしれません。
だもんですから、泳ぐという概念はありませんでした。水は浸かるもので、そこを移動するのは足しかなかった。水の中で歩いているだけ。
小四からプールの授業が、自分のところであったと思うけど、これまた、何をしたのか。女の子を見ていたのか、担任の先生の顔色を見ていたのか、すぐに口の中に水が入ったら、必死になって吐き出すような、ダメダメな子どもの私がいました。
できることなら、プールは入りたくなくなりました。小五くらいからすね毛が濃くなっていって、何だかかっこ悪かった。あれこれ理由をつけて、見学させてもらうことになります。中一もそうだったけれど、中二から内申書のために、ガムシャラに入ったけれど、もちろんムザンな姿で、泳ぎも何もできなかった。
そして、そのまま高校に入ったら、当然、プールの授業はありました。もちろん、ダメな部分は目立ってしまって、先生から指摘され、そのまま「不能者講習」というものに呼び出されることになりました。
一週間くらい、朝からずっと学校のプールでたくさんの不能者たちと一緒に、何度も水を飲みながら、水を吐き出し、ゲボゲボして、平泳ぎを少しだけできるようにさせてもらいました。
本当に嫌だったけれど、平泳ぎだから、何とか頑張れました。方針が変わって、不能者はクロールをマスターさせること。という風になっていたら、高校を続けられたかどうか。もう高1の夏でやめなきゃいけなかったかもしれない。
まさか、そんなことはなかったと思うけど、平泳ぎというのは救いでした。
たくさんの不能者友だちがいたので、それは心強かった。やはり、同じ境遇にいる者たちは、変な連帯感があるもので、みんなで伸びたり、縮んだりしながら、少しでも前へ進めるように四苦八苦したのでした。
プールサイドでそんな連中が集められ、水中ではどんな足の動きをするか、どんなふうに蹴るのか、イメージトレーニングもしてもらいました。何といういじらしさ。もう心から平泳ぎをできるようになって、前へ進みたいと思ったものでした。
そして、たぶん、何とか、少しだけ泳げるようになった。
もう何十年も泳ぐということ、してないけど、たぶん、今だって、泳げると思います。足がつかないところはとてつもなく不安だけど、何とか浮いていられるでしょう。
そもそも、私は水の中で目を開けられない人でした。今だって、目薬をささなきゃいけないとなったら、大騒ぎしてしまうとんでもないオッサンです。それがもう何十年も続いてますから、不能者としても筋金入りでした。
他人のできないを笑えないオッサンなのに、つい他人なら笑ってしまうとんでもない野郎です。反省しなくちゃ。自分のとんでもなさを見つめて、それを少しずつ改める努力の大切さ、かみしめていきたいです。