かなり昔のことですが、最近はずっと荻昌弘さんの「歴史はグルメ」(1983)という本を読み続けてますので、70年代後半は割とリアルになってきました。
荻昌弘さんという映画のコメントもする、マルチタレントは、食べ物にも詳しい方だったし、もっともっといろんな方面に活躍されてたんだと思われます。
残念ながら、うちには荻さんの本は一冊しかなくて、これをもう何日かけて読んでるんだろう。もうそろそろおわりに近づいて来ましたけど、やはり、あの時のことを書かなくてはと思いました。
1977年の年末、たぶん私は受験生でした。それなのに数学はやりたくなくて、問題集を見ても、何もひらめいて来ないし、何だか無駄な努力しているな、という気はしていました。
数学がスイスイ解ける人もいるし、その上を行く問題はあるし、数学の世界というのは際限なく広がっているはずなのに、私はそのとっかかりにも入れなくて、ずーっと悶々としていたものでした。
そんなのやめてしまえばよかったのに、なぜかやめられないまま、中途半端な気持ちで数学に対していました。数学の本を開くということは、不毛の時間が私の前に巻き起こるのでした。ああ、そんなことしてたんですね。
突然の訃報が入ります。そりゃ、訃報というのは突然にやってくるものだけれど、この時は少しだけショックで、「ああ、あのチャップリンがなくなってしまった」というのは驚きでした。
早速、翌日の「月曜ロードショー」では、番組を変更してチャップリンの「キッド」を放送することになりました。荻昌弘さんが追悼の解説をしたと思うんだけど、私としては、弟が映画館で見ていた「キッド」を今さらながら見ることになった残念さをかみしめていたような気がします。
どうして弟は、映画館で見られたんだろう。そして、私はどうして見られなかったんだろう。細かい事情は忘れたけれど、1時間くらいの映画を勉強もしないで見たのだと思います。
日記も確認していないけど、私のことですから、たぶん見たはずです。
そう、たぶん、当時の現代国語の先生が、「キッド」の中の天使の場面について教えてくれてたことがあったので、それを確認する意味でも見たのだと思います。そこがとても重要な場面であるということでしたし、それを私の解釈で見てみたかったのです。
もちろん、受験生にあるまじき行動で、「ここで一時間テレビみるけれど、その分はちゃんと勉強するから」と言い訳しつつ、見たのだと思います。
なんといっても、当時から気になっていたチャップリンが亡くなり、その作品を見られる貴重な時間だったのです。
今だったら、いろんな形で簡単に見られるのだけれど、当時の私たちには、チャンスを逃すと今度いつ見られるのか全くわからない状況ではあったのです。見たい作品にはいつも一期一会で向き合わねばなりませんでした。
子どもと放浪紳士がつながっていく作品は、最後はどうなったのかなあ。結局何にもならないで、どこかに向かって行くというので終わったんだったのか。結末にたどり着くまでのドタバタの中に私たちは悲喜劇を感じさせてもらってたんだろうし、それがチャップリン映画の魅力ではあったのだと思います。
チャップリンは1977年に88歳で亡くなります。残念だけど、たくさん楽しませてもらったし、私が生きてる時代に、日本の226事件なども経験したチャップリンさんは、しばらくそこにいてくださったんです。私もチャップリンと同時代を何年かともに過ごせたわけでした。
荻昌弘さんは、1987年まで月曜ロードショーの解説を担当したそうで、そんなに長くされてたんだと改めて思います。そして、解説を降りられてから、1年で亡くなってしまい、なんと63年の人生だったということでした。
それから、もう三十数年経過していますし、荻昌弘さんというキリッと解説してくださる、聞いてて安心するし、視界が開けるようなお話をしてくれる方はもういないのでした。
当たり前のことを書いていますね。もうはるか昔のことになっています。
私にできることは、チャップリンさんの作品を再び見て、荻昌弘さんの本も読んで、古書市とかで他の作品も探して、はるかかなたに行ってしまった方たちから何か聞かせてもらい、見せてもらうことだと思います。
そんな懐古的でいいの?
ハイ、いいんです。昔の作品も見て、今の作品も見て、せいぜい昔と今をつなげる働きをしようと思います。
若い人は、古いもののよさはなかなかわからないし、これは年を取った私などがこんな魅力があるよとお伝えするしかないですもんね。