戦車のキャタピラーに、どこかで会ってたような気がしていました。ジェット機は全く興味がなかったけれど、プロペラ機はこれまた十代の頃に出会った気がしていた。鉄砲は、中学生の頃、織田信長という人を知ったのだから、それなりにイメージはあったけれど、全く興味がなかった。刀は、これまた全く興味がなかった。
どうして若い人たちは刀なんかに興味があるんだろう。お金になるから? 違うなあ。刀にアニメのキャラが付いてるから? そうかもしれないけど、あんなただの鉄の道具がキャラとして成立するなんて、何だか無理矢理の心持ちです。若い人にはそういう気持ちが生まれるんだろうけど、私はできていません。私はただの道具にしか見えないてす。そして、あまり触れたくない世界でもあります。
包丁は、大事なのはわかっていますけど、あまり料理もしないし、グータラの私には、包丁もたまに使わせてもらうだけで、感謝がありませんね。物をちゃんと扱わなきゃいけないです。
最初の武器たち、私の中では戦車とプロペラ機にだけ、何となくうずくものがありました。それは小さい頃、何度か絵を描いたからです。
戦車はキャタピラから描かなくちゃいけなかった。プロペラ機は、正面の左右に羽を伸ばしているところから描かなきゃいけなかった。もうイメージは固定化していて、あまり広がりはないですね。そして、今となってはそれらの武器が人を殺す恐ろしいものだというのをしみじみ感じています。とても描く気になりません。できれば避けて通りたいものです。
でも、刀や武具や、鉄砲・ライフル・拳銃など、武器は一部の人には愛好されているし、持ってみたいと思う人たちもいるでしょう。
持ったら、それを試してみたいと思うだろうし、そう思うことはとても危険なことでした。誰かを傷つけるものは持ってはいけない。人は、何も持たなくても、簡単に人を傷つけることができるのだから、物理的に傷つけるものなど絶対に持ってはいけないのです。
普段利用しているクルマだって、今の人は簡単に人を傷つけるために使用してしまうようで、できればそういうものは持ってはいけないと思うし、将来的には人が人をはねようと意図しても、機械が勝手に止まるようにならなくてはいけないな。人間なんて信用できない生き物なんだから。
イエローサブマリンなんて、あり得ないものを考えたのはビートルズのメンバーでした。隠れてこそこそするために水の中に潜るのだから、派手な色を付けてはいけない。なのに、目立つ黄色にしてしまった。
そして、サイケデリックな世界に飛び出て、海でもない、お花畑でもない、不思議な世界に向かって行った彼らでした。私たちも、よくはわからないけど、そういうフラワーな世界観を受け入れ、みんながそんな気分になってくれるような、少しイージーな考え方もしたかもしれない。
でも、シンプルで前向きで、少しとぼけた感じというのは、よくはわからないけど、私たちも受け入れたい気分が合ったのです。
だから、60年代の終わりから、70年代になっても、ずっと一部の人たちには受け入れられていたはずです。
私は、1975年に親戚の結婚式で浜松に行ったときに、町の中のヤマハさんでシングルを買いました。遅ればせながら、イエローサブマリンの乗組員になった気分でした。
映画は簡単には見られなかったけれど、テレビでも、DVDでも見させてもらい、今も乗組員の気分です。頭はもとからサイケデリックだったけれど、70年代はラッパのズボン(ベルボトム)を履いて、若者気分ではあったんですね。
しばらくすると、弟に、「そんなラッパ履くな! ストレートにせい!」と言われ、自分の中では違和感はあったけれど、LEEのストレートにしました。そんな70年代の終わりがありましたね。
40年以上の歳月が過ぎました。潜水艦はイヤだけど、イエローならOKです。他の武器などはどれもイヤだけど、世界には最新鋭のものが次から次と作られていて、私たちは知らない間にたくさん抱えさせられている。
よその国の軍事パレードにはうんざりするけど、私たちも同じようなものなんでしょう。もう一度サイケの波は来ないかな? 真面目くさったわざとらしいセリフを吐く者たちに、「何言ってんの? そんなの知らないよ。ほら、みんな仲良しなんだよ。あなた、元気ないんじゃないの? ハッピーに行こうよ。踊ろうよ。」なんて声をかけてやりたいな。