小さい頃、家には扇風機は一つしかなかった。小さい頃は一つの部屋に家族四人で暮らしていたのだと思う。どんな風にして寝ていたのか、全く記憶はない。トイレも炊事場も、洗濯場も、何も憶えてないから、そこで本当に暮らしていたのか、それさえもあやふやだが、たぶん共同トイレで、炊事場はわからないなあ。
二階に住んでいたはずだ。暑かったはずだし、何をしていたのかも記憶にないが、母と私と弟が父の帰りを待っていたはずだった。たまには近所の子と遊んだのか、それも記憶がなくて、ひょっとして母に囲われて、どこにも出なくて、ひたすら家の中にいたのかもしれない。たぶん、それでも母がいれば、それなりに時間が過ぎて、「暑いよ」と訴え、「寒いよ」と伝え、母に言うことを聞いてもらっていたのか。母は子どもたちがまだ小さいし、どこへも行かず、友だちもおらず、故郷につながる誰かが来てくれたりしたら、ホッとしていたんだろうか。
母は二十代前半なんだから、あれこれ遊びたかっただろうけれど、都会にポツンと暮らして、誰にも頼る人もおらず、強くあらねばと思ってたろうか。買い物は近所でできたはずだから、子どもたち二人を連れて、適当な時間に出かけてみたりしたはずだ。
いろんなお店はあるし、子どもたちが欲しがるものもあれば、全く興味を示さないものもあるし、母が興味のあるもの、それはたぶん、いろんな服だったと思うけれど、それも見るだけだったろうか。お金のない田舎から出てきた夫婦の質素な暮らしであり、子どもには恵まれて、二人ともそれなりに仲良く暮らしている。少しでもお金をためて、いい暮らしをしたい、なんて思ってたのかもしれない。
みんなが貧しく、みんながものを持っていない地域だったはずだ。テレビはなかったのではないか? ひょっとして白黒テレビを奮発したのかどうか、幼稚園に行く頃には買ったかもしれないが、これまた記憶はない。
けれども、もの心ついたころには、テレビのはしごはするようになった。日曜は朝にマンガがやってたのか、何だかうれしかったはず。夜は六時から七時がピークで、ここで楽しい番組をたくさん見つけていたと思う。
そして、どっぷりつかるようになるのは、日曜の19時からのウルトラアワー、これは60年代半ばからスタートするので、そのころには自分の家で怪獣を見るようになっていた。それは魅惑の時間だった。
その少し前、アパートの一間で暮らしていた頃、数少ない電化製品がN社の扇風機で、これは長いお付き合いをした。二十年ほどは付き合って、やがてうまく動かなくなって、貴重なものだから保存しておこう、ということも考えられたが、家は博物館ではなかったので、やがては捨てられてしまう。
洗面器に水を張ったのを扇風機の前において、扇風機を回してやっと寝るという夜の過ごし方もあった。「おかあちゃん、あついよ~」と兄弟二人は訴え、唯一の工夫が洗面器の水だったのだ。切り札だから、それが出たら、「うん、水の上を通る風は何だか涼しい」なんて思っているうちに、コテッと寝たのだと思う。どんなに暑くても、小さい頃は眠くなれば大汗で寝ていたんだろう。
今夜も、台風のおかげなのか、エアコンなしで寝られそうです。大汗かいて寝なくていいから、とてもしあわせだ。というか、何だか夏の終わりの空気にくるまれて寝られるのは、この上ないしあわせという気がした。