小さい時から、ずっとオチャラケ小僧だった。
みんなが真面目に話をしていたら、「それ、どういうこと? こういうこと?」とか言いながら、無関係なことを口走ってたりした。オッサンのおやじギャグというのが世の中にはあるけれど、あれはオッサンなりにシャレやら、配慮やら、場を和ませようという気づかいから生まれる努力の結晶でした。
人に対する配慮が常に足りない私なんかは、おやじギャグも言えなくて、「うっー」とうなってるだけで、何も生み出せていない。小さい頃は、そんなのお構いなしで闇雲に思いつきをヘラヘラしゃべっていた。
自分は、そういう芸風の人なのだ、と割り切っているところがあった。その他大勢でワチャワチャしてればそれでいい、みたいな、そういうのが好きな人になってしまっていた。
それが少しずつ年を取っていき、今では本物のオッチャンになってしまったのに、人様に何も提供できなくて、サービス精神はあるのに、何もできない、口ごもったおやじになっている。
本当は、みんなを楽しませることをしたい、と思っている。
ヴァイオリンを弾いてみるとか、チェロで低音の空間を作り上げるとか、みんなで声合わせて歌うとか、みんなが感心するような絵を描くとか、夢だけど、ステキな詩を書くとか、そんなことがしたいのに、昔からの浮ついた性格は、ドッシリと何かアーティスティックなものを生み出すとか、できていない。
反省と自虐だけでなく、地道に何かに打ち込んでいくしか、解決策はないのだから、独学であろうが、誰かに学ぼうとも、何かに打ち込むしかないはずなんだ。
でも、それができてなくて、小さい時からのオチャラケ魂で無為に過ごしている。それはいけない。落ち着いて、どっしり何かをする。それしかないと思う。
世の中は浮ついているし、改革・改造・改ざん・新造・急造など、いいかげんなものばかり作られ、行われている。
そうじゃなくて、オーソドックスに単純なことをしていくしか、道はないと言い聞かせよう。解決策はない。単純なことしかないのだと思う。
争いをしたいところがあれば、それをいろんな方法を使ってやめさせるしかないし、暴走する人を誰かが止めるしかない。人は、アホウではないから、理屈で時間をかけて話してあげたら、突然に解決するかもしれない。
戦争は、最悪の方法であり、何も生まない。そうなってしまってからも、みんなで解決策を探るしかないのだと思う。
と、オチャラケおっさんが何を言ってんだか。おっさん、明日はどこへ行くの? はい、実家の方へ電車で行ってまいります。しばらくブログは休みます。どうぞ、よろしくお願いします。