甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

暖冬馬堤歩行 その3

2020年02月01日 07時06分02秒 | わたしと大阪

 豊里大橋、菅原城北大橋、これらはそんなに古いものではなかった(若い人からしたらすでにそこにあったものだろうけど)。

 長い堤防にはずっと橋はなくて、対岸はどこか遠い所から渡るしか方法がなかったようです。実は分断されていた。

 何十年も昔、朝はAMのラジオを聞いて、出かけるという習慣があったんですけど、その頃はよく交通情報で「鳥飼大橋は二キロの渋滞……」というのを聞いて、淀川の右岸と左岸をつなげる橋というものがないのだなとは思っていました。

 鉄道だってあんなにいろいろと走っているのに、それらをつなげる方法は今もありません。

 淀川右岸には、阪急、JR東海道線、新幹線みんなそれぞれに走っている。阪急は途中で新幹線と一緒に走る区間があって、それがファンにはたまらないのだけれど、でも、新幹線はシレッとして走り抜けるだけだから、三つあっても地元の人には関係ないだろうし、とにかく二つしかない。

 淀川左岸には、京阪電車。途中まで地下鉄の谷町線があったり、内陸を片町線が走ってたりするけど、二つくらい。これらはターミナルではつながるけれど、途中ではそれぞれに営業しています。

 大阪モノレールという会社が、ぐるっと回って、これらをつなげようとはしてくれているけど、うまく機能しているのか、実態は私にはわかりません。


 2019年にやっとおおさか東線が開通したというのを、褒めてあげたいなと思ったんでした。そんなの、関東では当たり前で、もうJRの管轄のもと、いろんな鉄道会社がつながろうとし、お客さんの利便性ということで、訳が分からなくなっています。田舎者には恐ろしいネットワークになっていて、つながりまくっている。

 大阪には、会社それぞれが自らの方法でお金儲けをするという、旧来の方法があるし、個々の経営努力が大事にされているのでしょう。会社が大事であって、お客がこうなってくれたらいいのに、という希望は実現されなかった。

 私の実家でも、昔は路面電車が走っていました。それらが廃止されるにあたり、たいていは地下鉄が設置されたものですが、どういうわけか、あれこれ言い訳をして、地下鉄は走っていません。バスがあるからいいじゃん、という人はあまりいなくて(うちの母くらいでしょうか?)、住民は地下鉄を走らせてくれ、と思っていますが、もう何十年も実現されていません。

 それくらい、交通システムも住民本位にはなっていないようです。場当たり的な、有効利用で適当にやっている感じです。もっと人々を活性化して、鉄道の力で、街を豊かにする方法を考えてくれたらいいのに、そんなことをする余裕はなくて、みんな小商いばかり、目の前の利益に明け暮れている。


 昔から存在した城東貨物線は、おおさか東線としてよみがえりました。もうこの橋は人が歩けなくなりました。けれども、人の流れは作れたでしょう。もっともっといろいろと考えてもらわなくちゃ!


 豊里大橋から、菅原城北大橋を抜けて、おおさか東線の赤川鉄橋をくぐりました。たくさん橋があるんだなと、歩いている時は感心したけれど、実際にそこに住んでおられる人からしたら、橋の向こうにわざわざ行くというのは、大変なことなのだという気もしていました。

 だから、対岸には用事がない限り行かないで、こちら側の岸でそれなりに完結するように生きるのは当然です。わざわざ向こうまで行って買い物するとか、ここは国境ではないのだから、対岸は全く違う世界なのではなくて、こっちもむこうも大阪市だし、そんなにすごい差はないし、仕事や用事か趣味でない限り、わざわざ向こうには行かないのでした。


 堤防はずっと続いています。コンクリートではなくて、土の堤防です。改めて見てみたら、これは貴重なことでした。

 去年の災害で千曲川の堤防が決壊したことがありましたけど、あれも土の堤防でしたけど、だから、すべてをコンクリートで覆ってしまえ、とは私は思いません。何十年に一度か、壊れることもあるかもしれないけど、普段の人々の生活のためには、堤防は土であってほしい。

 そういうことも気づかずに、水鳥たちを見たり、走る人に追い抜かれたり、河原を縦横無尽に走る自転車オジサンたちにびっくりしたりしながら、歩いています。


 鉄橋を抜けていく電車も見ることができました。うまく撮れませんでした。だったら、もっと粘って、納得のいく写真を撮ればいいのに、こらえ性がなくて、先に歩いて行ってしまった。

 妻から、「奈良に行くな」と言われたので、こちらを歩いている、ということもありました。でも、私の知らない大阪に出会いたい気持ちもあった。たぶん、何度出会おうとしても、会えない部分はいっぱいあるし、もうずっと大阪には旅人として接するしかないのかなと思っています。

 私の大阪は、そこにあります。少しずつ発展らしきものはしている。何だかキレイになって、昔ほどゴチャゴチャ感はなくなりつつある。でも、もう私の住むところではない。

 この辺りが、蕪村さんを読んでみよう、ということにつながる気がします。画集を開き、句集に付箋を貼って、何かそれらしいことを書いてみます。

 たいしたことは書けませんけど、蕪村さんと自分をつなげようと、わざとらしい工作してみるんですね! せいぜいやってみます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。