甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ディフェンスの人、ゲリラの人 中歴61

2018年04月27日 22時10分29秒 | 中国の歴史とことば

 うまくまとまらないけど、次に進むためにとりあえず書くことにしました。よろしくお願いします。

70【(     )守】……自分の説などをかたく守って改めないこと。→墨翟(ぼくてき)が城をかたく守った故事による。

 71【人を以って(      )となす】……周囲の人々の行動をしっかりと見て、みずからの行動を正す判断基準とすることをいう。他人の振る舞いの中にこそ自分を導く手本があるということ。《墨子・非攻》それぞれ空欄に適切な漢字一字を! 

 墨子(ぼくし)さんは、 前470ころ‐前390ころの人だそうです。孔子さんよりより百年若いということになります。中国の戦国時代の思想家で、墨は姓、名は翟(てき)と言います。

 一説にでは、墨は入墨の刑で、墨子は受刑者を意味し、社会や反対派が彼を卑しんで呼んだのに始まるとも言うそうです。

 魯に生まれて、宋に仕えた。封建制を是認し、道徳を尊重するなど、儒家と一致する主張がいくつかあるそうです。

 しかし、儒家の礼説が繁雑で、財を尽くし民を貧しくするのを非として、墨子は反動的に礼楽を軽視し、勤労と節約を旨としたということです。

 封建的社会体制の解体過程にあって当時の各国は国内的には中央集権的専制化、対外的には戦争による大国化を進めていた。これに反対して墨子はたくさんの職能氏族をギルド的工人集団にまとめあげ、そのリーダーとして兼愛(相互愛の普遍化)と非攻(反戦平和)の実現をめざしたそうです。

 王侯・貴族に対する説得や被侵略国を助ける城郭守禦(しゅぎょ)といった実践活動を指導した。

 つぎはぎで墨子さんをふりかえってみました。技能集団のリーダーで、戦いにおいて特別の戦力・技能を持ち、独自の存在となった。けれども、中国全体が実力者のつぶし合いの時代に入っており、独立独歩は許されず、どこかに所属してどこかの戦力にならねばならなかった。

 戦国時代のころ、信長さんたちの圧倒的な力に抵抗した雑賀孫市(さいがまごいち)さんみたいなものでしょうか。あの人たちは、信長さんのイエスかノーかという、どちらかに決めないと許さない方式が許せなかったんでしょう。

 イエスでもないし、ノーでもない、自分たちは自分たちの世界でやっていくというのは認められなかった。だから、とうとう最後は滅ぼされてしまいますが、そういう生き方も人間というのはしてしまうものなんでしょう。

 墨子さんたちもそれと同じで、自分たちは戦国的な食うか食われるかではない、みんなが生きていける中世的な自治国でありたいのに、それが許されない。そして、技能を駆使して攻撃ではなくて守備を徹底して行った。そして、ことばが残りました。

 71は、わりとよくある言葉で、「人のふり見てわがふり直せ」と同じ感じのことばです。そんなに新鮮味はないですね。いやそれよりも、70の消極的というのか、保守的というのか、あまりよい意味で使われない意味合いの方が気になります。

 墨子さんは、そんなに保守的で、意固地で、後ろ向きな人ではないと思えます(根拠はないのだけれど)。でも、何となくマイナスの意味で使われていたりする。

 もう一度本を読みなおさないといけないです。


★ 答え 70・墨(ぼくしゅ)  71・鏡


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。