甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

白く光る道を歩く

2023年01月12日 20時53分38秒 | きたぐにへの旅

 朝の8時くらいからバス停を降りて、下調べしたとおりに山の方角へ歩いていました。1月5日の朝です。平泉寺まで二キロと表示されていた道がこんなに勾配があるとは知りませんでした。私は東に向かって歩いていました。

 山の上にある宗教都市というのであれば、まるで高野山みたいです。けれども、高野山みたいな平坦な土地が山の上にあるのではありませんし、延々と続く曲がりくねった道というのでもありません。緩やかにカーブし、少しずつ上っていく単調な道でした。お寺の姿が見えるわけではないし、目当てはありません。いつまでこんななのかもわからなかった。


 国道から平泉寺に向かう道のはるか彼方に、あの越前大仏の伽藍が見えていました。山のふもとにお寺を建てたようですが、どれほどの立地だったんでしょう。まさか、適当な安い土地を買ったというのでなければいいのですが……。今でもお坊さんがこちらにいるんでしょうか。そして、どんな仏教をやっておられるんだろう。私たちって、巨大なものには割と弱いんだけれど、ここの仏様にどれくらいの効験があるんだろう。

 宗教なんだろうか。祈りなんだろうか。それとも、仏教の形を借りたエンターテイメントなのか。まあ、私には関係のないところだから(お金もないし)、遠目に見るだけで十分でした(シルエットは東大寺の大仏殿に見えますね。塔もあるみたいです。それは少し癪ですか……)。

 さて、「平泉寺白山神社」って、そのどっちつかずな名前はどうなんだろう。

 今では、とりあえず「白山神社」というのが存在しています。鳥居から本殿までの道の両脇に、かつてはたくさんの僧房があって「平泉寺六千坊」と呼ばれるくらいに仏教的な土地だったということでした。

 それらのお寺の跡を歩いてみるという計画は、もう前日の大野城で気持ちは切り替わっていて、どこを訪ねたところで、雪まみれでとても歩くどころではない、というのはわかっていました。それに、遺跡群はいまだにちゃんと発掘されておらず、ほんの一部分だけが掘り起こされただけで、あとはすべて地中に眠っているはずでした。

 また夏にクルマで来るとして、この冬に行ける範囲をお参りしよう、今は下見みたいなもので、ご挨拶ができればいいかなくらいの気持ちに切り替えてはいました。

 1番目の鳥居の下にイタリアのクルマを止めていたカップルは、女の人が先に車に戻りエンジンをかけていて、男性はヨタヨタしながら彼女のクルマのところへ行ったようでした。他には、誰もいませんでした。

 初詣するお客さんはいない。お店はみんな閉まっていた。歴史博物館は、開きそうだったけれど、まだ時間になっていないようでした。こんなに誰もいないなんて、少し予想外でした。


 地図によると、私は東に向かって歩いているようです。だから、朝日は前から降り注いでいたのですね。この神社をずっと登って行けば、やがては白山にたどり着けるようです。

 南谷に三千の僧房、北谷に三千の僧房、確かに六千坊というのは、中世のこのあたりをさす(幾分のプライドをこめての)言葉だったんでしょう。

 それくらいに栄えた宗教空間があった。背後には、石川県の白山(しらやま)ひめ神社とお互いの範囲争いがあった広大な山塊の白山がありました(今はそれぞれ守備範囲が決まっていて、それぞれが管理しているみたいです)。

 その山懐で、神と仏と修験道の自然信仰とがミックスされながら、地域との関わりを持ちつつ展開されていた。当然のことながら、地域の大名の朝倉氏ともそれぞれ住み分けして存在していたでしょう。



 戦国時代の後半、加賀の国を占領した一向一揆の流れをくむ人たちが、越前の国にも流れ込み、目の上のたんこぶだった平泉寺白山神社の人々と争うことになります。僧兵たちの戦闘集団もいただろうから、力対力の争いになり、そうした争いの中で全山が焼かれて、威勢を誇ったこの空間も、焼け野が原となってしまったそうです。

 江戸時代には、徳川様のご親戚の松平の殿様が福井に来られ、歴史ある空間として保護されはしたけれど、明治の神仏分離・廃仏毀釈の政策により、仏教的なものは廃止されて、「平泉寺(へいせんじ)」という名前だけが残り、あとは廃墟になりました。



 私たちは、その廃墟とわずかに残された神社を拝むしかできなくなっていました。お寺は夏の間に現れる苔の空間の下にあるようです。

 やっとたどりついた白山神社の本殿です。この奥に何があるのか、左右に何があるのか、本当は歩きまわりたかったけれど、冬山の装備もありませんし、装備したとしても私には体力もなかったでしょう。

 雪のために本殿そばまで行けないですけど、お祈りはしました。巨大な大仏さんはありません。建物もありません。人もいません。ただ静かで、何の物音もしませんでした。集落はあったはずなのです。でも、人が住んでる雰囲気はあまり感じられませんでした。みなさん静かにお正月の朝を過ごしておられたのかもしれません。

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