甘い生活 since2013

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鉄道150年

2022年10月14日 06時45分40秒 | 鉄道のこと

 タイトルは「鉄道」にしてみましたけど、そんなに明るくないなあとは思っています。都会の周辺に縦横に走る鉄道は行く残っていくかもしれません。

 でも、周辺部の鉄道は、ズタズタになっていくようで、誰もそれをどうにかしようとも考えてなくて、採算が合わないのであれば、廃止も仕方がないねえ、というムードが漂っている気がしています。

 郷愁として、かつて鉄道の旅みたいなのがあったけれど、都市部から周辺部とかに行くには、鉄道以外の方法が推し進められていく気がします。

 まさか、日本国中に新幹線ばかリ走らせるわけにはいかないし、新幹線は毎日乗る鉄道ではないはずでした。

 新幹線とリニアが敷かれつくしたら、もうこの島国でどこに旅したらいいのでしょう。

 鉄道の旅、その可能性はものすごくしぼんでいます。

 かつてのような、寝台列車の復活は絶対にあり得ないし、みんなが速くて、安くて、機動性があって、あちらこちらをめぐりたいというのであれば、鉄道はそういうご希望には答えられないかもしれません。


 みんなが鉄道で旅したいと思っていなかったら、それを呼び起こすことをすればいいんだけど、長距離を走る普通列車というのを工夫してもらえないか、とは思うのです。

 たとえば、何年か前に岩手の北上市から宇都宮まで普通列車で何回か乗り継いでいったことがありましたけど、あの不安定さは本当にしんどかった(その乗り換えがハラハラドキドキで楽しさに変わる時もあるのだけれど)。

 たぶん、一ノ関、小牛田、仙台、福島、黒磯、その他、どれくらいを乗り継いだでしょう。そんなに乗り続ける人なんていないのだから、電車はぶつぎりで、待ち時間もあって、車両もリセットできるし、ゴミだって心配ないし、小分けして走らせるほうが管理的には楽だと思います。

 でも、ずっと延々とそこに乗っていたら、はるか遠くまで行けてしまう普通列車があれば、その鉄道を利用する人は、その向こうって、どんなところだろう、と想像することが起きます。

 私のあたりだったら、新宮行きという列車(二両編成?)を目にする機会があります。このあたりの若い人なら、「新宮」という地名はわかるでしょうし、それが和歌山の方で、紀伊半島の南で、雨がものすごく降ったりするところ、くらいは見聞きすることがあるはずです。

 でも、ほとんど「新宮」に行く必要を感じないし、見向きもしないことでしょう。なのに、鉄道はそことつながっている。

 この遠くまで見渡すことのできる感じ、実際はただの地名でしかないのだけれど、「新宮」を行き来する鉄道が目に見えているのです。そうした積み重なりが、いつか「新宮」というところを歩いてみよう、そういう気持ちになるのではないか、と思うのです。

 遠くにまで行く列車を目にする機会というのは、とても大事です。私たちの旅心が生まれてくるはずなのに、今の鉄道は本当はつながっているのに、運営においては分断されています。だから、人々の気持ちも切れてしまう。


 いろんな人たちが、鉄道の旅に憧れてくれると、私なんかはうれしいんですけど、私たちの気持ちの「橋」みたいなものは、棚上げされている。つながっていない気がしています。



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