朝、いつものようにFMを聞いてました。ベートーベンの生誕250年とかで、2時間余りずっとベートーベンを聞かせてくれるということでした。
最初がピアノソナタ「悲愴」、次が「葬送」ということでしたけど、次のはもう聞けなかった。また、いつかCD買って、自分の車のハードディスクに入れとこうかなと思うくらい、何だかよかった。
何が良かったって、別にポリーニさんの演奏が良かった、のかもしれないけど、他と比べられないので、聞いた感じが良かったんです。だったら、何が?
シンミリ派の私には、何かしっくりくる音の流れがありました。これで、またCDを買ったら、「なんだ、つまらない」と文句を言いながら、しばらく放置するんだろうか。格調高い演奏もいいけど、とりあえず最近の録音でいいから、無名の人でもいいから、シンミリ聞かせてもらったら、もう何でもいい感じでした。
ベートーベンさんは、27歳から耳の不調があったそうで、腸が悪いのかもしれないと薬を飲んだり、医師に相談したり、まわりの人には相談もできず、好きな女の子とも結ばれず、モヤモヤした日々を送っていたそうです。
本人も、音楽家にとって、耳が聞こえなくなるなんてと、友人にどうしたらいいのかと手紙も書いていたそうです。でも、解決策は見つからず、それから何十年も耳が不調で、晩年はまるで聞こえなくなったとか。
でも、彼の人生は続くし、彼には音楽を作るという使命というのか、情熱というのか、彼は作らねばならない運命を感じながら、たぶんこうだろうと思いつつ音楽をイメージして音楽を作り続けました。だから、生誕250年を祝ってもらえるし、300年になっても、祝福されることでしょう。生誕400年には、人類は地球にいるのか、それは分かりません。
もうすべて彼の心の中の音楽を、今の私たちは聞かせてもらっている。彼にはもう聞こえなかったけれど、心の中では響いていたはずです。
そして、今、私たちは、その残されたものから新たに作り出されたものを、これがベートーベンさんの感じてた音楽なのかと聴かせてもらっている。
250年の時間を越えて、私たちは彼の苦悩も一緒に味わいながら、時々はそんなこともうっかり忘れてしまって、彼がイメージしたものに一喜一憂しているのでした。
神様って、そういうことを淡々とする、というのか、試練として与えるのか、私たちに神様の存在を感じさせようというのか、もう信じられないイタズラをされます。音楽家ベートーベンの耳が聞こえなくなっていく。そうすると、ベートーベンはどうするだろう?
温泉に行く。療養する。友達に相談する。薬も飲んでいる。悩み苦しんでいる。失恋だってしてしまう。失恋しそうな女の人と出逢わせる。静かに見ていたり、じらしたり、どうして単純に生きさせてあげないのか。
それはもう、神様としても、どんなになるのか、見てみたい気になったんでしよう。そして、ベートーベンさんは、見事様々な試練に耐えて、後世の私たちにいろんな宝物を届けてくれて、私なんか、今朝も有り難く聞かせてもらいました。
そんな風にして、私たちは試練に耐えた人の作品を、自分の生活は置いておいて、有り難く聞かせてもらっている。もう、神様にも感謝しなくてはいけないし、ベートーベンさんにも感謝です。
何年か前、フラフラとクルマで大津の町に行ったことがありました。目的は三井寺で、お寺も見せてもらったし、大津絵のお土産だって買いました。ついでに、山の上の美術館にも行ってみようと、予備知識なしで三橋節子美術館に行かせてもらった。……うちの奥さんは知ってたということでした。……
そしたら、35歳で亡くなった画家さんが、家族を愛し、右腕を病気で失っても、左手で絵を描き、子どもたちを描き、子どもたちにつながる伝説をテーマにして、自分がなくなるのを覚悟しながら、生きている限り絵で子どもたちにメッセージを残そうとされてて、手紙も残して、そういう一連の作品が展示してある小さな美術館がそこにありました。
もう10年以上昔かもしれません。そして、私たち夫婦は、手紙を読んでは泣き、絵を見ては泣き、もう涙が止まらなかった記憶があります。
それからしばらくしてもう一度行きましたけど、やはり同じでした。
もう永遠の壮絶さで、絵を前にするたびに泣けてしまう。そんなこと、若い人にはすぐには分からないでしょうね。何か陰気な世界、というふうに切り捨てられるでしょう。
でも、時間が経てば必ずわかるはずです。そして、みんな、そこを通って年を取っていくんですから。
絵描きの三橋節子さんは、晩年に右手を失う。でも、左手で亡くなるまで描き続けます。舘野泉さんというピアニストがいましたけど、彼も右手が使えなくなった。そうしたら、やはり左手だけで音楽を続けたというではありませんか。
ただ、何となく今までの仕事だから、というのではなくて、そこにその人の魂が入っている気がする。
私は、どれだけ魂を感じられるものを作れただろう。たぶん、何もないと思うけど、どんなことになろうとも、私らしくありたいです。そういう魂を込めたもの、作っていきたいです。