甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

木山捷平さんの「遠景」 1925

2015年12月24日 22時01分06秒 | 一詩一日 できれば毎日?

 大好きな詩を紹介します。木山捷平(きやましょうへい)さんの「遠景」という詩です。

 タイトルはずっと何十年も忘れていて、とにかくあの詩を読みたいと、講談社学芸文庫で出たときに飛びついて買いました。それでタイトルを知ることができたんでした。

 作者の名前は、たぶん憶えていたのだと思います。私にしては長期間記憶していましたね。それだけ印象が強烈だったんでしょう。



   遠 景       木山捷平


草原の上に腰を下ろして
幼い少女が
髪の毛を風になびかせながら
むしんに絵を描いていた。
私はそっと近よって
のぞいて見たが
やたらに青いものをぬりつけているばかりで
何をかいているのか皆目(かいもく)わからなかった

そこで私はたづねてみた。
……どこを描いているの?
少女はにっこりと微笑して答えてくれた。
……ずっと向こうの山と空よ。

だがやっぱり
私にはとてもわからない
ただやたらに青いばかりの絵であった。

   〈木山捷平(きやましょうへい)『木山捷平全詩集』(講談社文芸文庫)より〉



 小学校四年生の教科書に載っていた詩でした(他の学年だったかな?)。 

 他の多くの詩は忘れたのに、授業も特別なものではなかったはずなのに、 

 昔読んだ詩だけれど、あの詩をもう一度、いつか読もうと思い続けていました。

 そして文庫が出たので買いました。何もかも忘れて生きている私が、しっかり覚えていたなんて奇跡です。木山捷平という名前を憶えていたんですね。何だか不思議です。

 よほど強い印象があったはず、なのですが、それは思い出せません。まあ一つや二つ印象に残る詩っていうのは、だれだって持ってしまうものなんでしょうね(いや、私はこの詩との出会いは実は運命的であったのだという気もしてきました)。

 当時(小学生の時)は、私は詩の中の女の子に肩入れするような気分だったはずです。(おじさん、いったい何が知りたいの? 見たら分かるでしょ! という気分だったのか?)

 今ではそんな女の子がいたら(このクールな女の子)すごいなあと思ってしまうオッチャン目線です。

 もうこんな女の子は、昔の詩の中にしかいないでしょう。みんなケータイ・スマホで忙しくて、お絵かきするヒマもないかもしれない。何だか悲しいことですね。スマホの中のことは、もちろんオッチャンなんか相手にしていません。それは昔も今も同じかな。


 いつ読んでも、このツンと澄ましたところがいいです。こういう女の子、好きでした。


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