昨日、ちくまプリマーブックスをたくさんもらってきました。どうせ、読まないだろうから、ヤケクソで読んでしまえ、何から手を出してみる? と、悩んで、最初に「ナイルの流れのように」を取り上げました。
昨日の夜には、半分読んでしまいました。そして、さっき改めて、youtubeでハムザ・エルデイーンさんの音楽を聞いてみました。そうしたら、やはり、私のCDコレクションの中でアフリカ音楽を集めたものがあって、その1枚の中に、ハムザさんの曲が一つだけ入っていました。なかなかいい曲で、弦楽器のウードの音も私はそこで聞いたことがありました。
私はすでにハムザさんの音楽を知っていて、特にお気に入りの曲であった。ただ、それが何という曲なのか、だれが演奏して歌っているのか、知ろうともせず、十年近く経ってやっとその人を知った。ようやく私の点(ツボ)が線になった瞬間でした。私はいろいろなポイントを持っているのに、詳しくそこを開発しようともせず、ほったらかしのままであった。
ハムザ・エルディーンさんは1929年生まれ、訳している中村とうようさんは、音楽評論家で、「ミュージックマガジン」という雑誌の編集長でした。
私は1980年代の中ごろ、この雑誌をずっと購読していました。まだ大阪に住んでいる頃でした。ろくに読みもしないのに、どんどんたまっていくし、狭いアパートの邪魔になってたでしょうか。とうようさんはもう何十年も前から知っている人でした。
中村とうようさんは1932年生まれ。二人ともほぼ同年代です。日本でいうところの昭和ヒトケタの世代でした。うちの父も、妻のお母さんも、仲人してくれたご夫婦さん、私が大人として見ていた人たちはみんなこの年代でした。ここから上はお年寄りだし、母はこの世代よりも少し下になります。
この人たちは、80年代は働き盛りで、子どもたちもそろそろ独立していくし、自分たちのやりたいことがいろいろとできていたころでしょう。
ハムザさんだって音楽家として名を成し、日本に何度も演奏活動に来ていたころでした。その流れで、自らの生涯を振り返った本を書き、日本では70年代に出したアルバムの編集版も出して、あらためて訴えかけようとしていた。それらが1990年ころに完結して、私も音楽を必死になって聞く時代を過ぎて、三重県に住むことになり、あっという間に30年が過ぎていきました。
それらは平成という年号でくくられることになりました。
ハムザさんは、昨日読んだところは、音楽家として独り立ちするまでを読みました。ヌビア(ハムザさんのふるさと)からカイロに出ていったり、お父さんの出稼ぎ先に住んだり、アラブ人の中で少数派のヌビア人とは何か? たまたま出稼ぎのためにエジプトに来ているけれど、自分たちはエジプト人ではない。言葉も肌の色も音楽も、何もかもが違う。そこでハムザさんは、社会にどう働きかけるべきか、試行錯誤しているところでした。
ヨーロッパではリュートになり、アジアでは琵琶になったアラブの楽器のウードにたまたま出会い、自分たちのふるさとにはない楽器なのだけれど、この楽器の音に載せて、自分たちの歌とメロディを見つけていこうと、ハムザさんは、大都会のカイロで模索します。
本当は食べていける、エンジニアになろうと学校に行くのですが、音楽活動も同時に進行していて、少しずつ音楽にシフトしていき、みんなから歌を求められるようになるのでした。でも、一度はエジプトで鉄道会社に就職します。
1956年にスーダンがエジプトから独立して、26歳のハムザさんは退職して、スーダンで音楽教育を進めたり、各地の民謡を集めたりする活動に入っていきます。でも、ハムザさんは、ヌビアの人であり、ここでも自分たちのアイデンティティが見つからないのです。
エジプトはアラブ人の国。その南のスーダンはアフリカ系、中間の砂漠地帯のヌビアもアフリカ系なんだけど、スーダン人とはまた違う。音楽活動を続けていくうちに、もっと違う世界があるのではないかと、イタリア留学ができるチャンスを見つけて、イタリアに行くというところまで読んだんです。
たぶん、イタリアで西洋音楽を学び、やがてアメリカ、日本と活動の幅が広がっていくところが書かれるはずです。
私も一緒になれる80年代まで書いてくださることでしょう。
そして、ハムザさんは2006年にカリフォルニアに亡くなられ、とうようさんは2011年に亡くなります。
あんなに輝いていた人たちは、いつかは終わりが来て、いなくなってしまう。
80年代にもがいていた私は、1990年に自分の方向を見つけたと思って三重県に来た(はずでした)。そうしたら、30年があっという間に過ぎた。私の残された時間というものを考えねばならなくなりました。
私はどれだけまわりの人を幸せにできたか、それを考えなくてはならなくなりました。
音楽も持たない。しゃべりはヘタクソというか、人としゃべる努力を放棄している。というか、まるで頭が働いていない。ああ、どうしたらいいんでしょう。
ナイルの流れのように、やっていくしかないのかな。
どうも、ハムザさんは最初から音楽家になろうとしたのではなくて、自分たちのふるさとの音というのをずっと探していて、それが世界へとつながったのかもしれない。
私は、ナイルの流れのように、どこに向かって行きましょう。ふるさと? 家族? 世界の人?