![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/15/01771ff786b1144722b3b5b29c810c6f.jpg)
パソコンだったら、いい加減な絵は描けます。私のイメージの中では、もっと鮮やかな絵が描けているはずなんだけど、結局は色がベタっと塗れる平板な絵みたいなものになります。イメージとはかなりかけ離れたものができる。
こんなに平板なのはパソコンだからだ。もっと深い陰影のある絵が描きたい! と、ふと白い紙に向き合ってみました。ところが、どうでしょう。もっと色の混ざった味気のない、つまらないものしか描けなかった。
そうでした。私はあまり描写も、色塗りも、色の取り合わせもうまくありませんでした。その程度の描き手であり、努力も足りない。コツコツ描いていないのです。
前からわかっていたことではあるけれど、私は絵が上手ではなかったのだと愕然とします。とすると、中三の時、成績「5」がもらえたのは、デザイン的なものがたまたま評価された、ということだったんだろうな。真面目にコツコツしていたから、努力点として5をくださったんでした、たぶん。
いや、そもそも私は真面目なのか? グータラで、いい加減な私ではなかったか?
確かに、私ほどいい加減で、あてにならないヤツはいない。絵も小細工が多すぎるし、描写する根気もセンスもない。
中三の時は、内申書のために真面目ぶっていただけで、その結果のお情けの「5」だったのかもしれない。本質はグータラでした。怠け者でした。
ただ、何かイメージしたら、とりあえず形にはしようとしていた気がする。それだけは真面目にやったのかな。だから、結局は上手くはなかったんだ。それを忘れていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/30/85a372d5778bf8f38bf10ace68cf3c7c.jpg)
小六の頃、三階の窓から見える自分たちの町を描こうというテーマが与えられました。そうしたら私は、何もかも描き尽くそうとへんてこな努力をして、バランスの悪い絵を描いた覚えがありますよ。
もっと上手に自分が見た、切り取りたい部分を絵にまとめている子がいて、自分は「とてもかなわないな」と思った記憶があります。
切り取らねばならないのです。なのに私は、すべてをまとめようとして失敗していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6a/2d45107be4ab4a1bf9a2243f946f321f.jpg)
書きたいモノだけを取り出さねばならない。そういうのをこれから実践していきたいです。小さい頃にもできなくて、オッサンになった今もできていない、一部分を切り取ること、これを日々の生活の中でやっていきたいのです。
全体を見るのは大事です。それはオッサンになったら、少しはそれくらいできなきゃいけない。でも、それはインプットだけでいい。
私たちが外に向かってためてきたものをアウトプットする時、その時には見た中で取り上げたいモノをポンと取り出せる力、それが必要です。私には今、それが求められているし、それが私の課題だと思える。
部分を私なりの解釈で取り上げる。ことばでもいいし、絵でもいい。写真でもいいかもしれない。
すべてが写ってたってどっちつかずです。わかっているのに、それができないなんて……。私は誰かにハガキを描きたいわけです(不洗鉄さんにあこがれているんです)。それで、今、ハガキの絵というのを研究しています。こんな描写力のない私が、突然を何を描くのでしょう。ああ、それが問題だ。