戦国時代に入ったつもりでおりましたが、『十八史略』をたまたま読んでいて、春秋時代の宋の王様がいいこと言ってたから、メモすることにしました。
昔の王様は、自らの言葉にもとても気を使ってもの言いして、言葉に重みがありました。今みたいに世間にどう見られるか、どんなふうに言えば受けるかみたいな、安物芸人みたいな政治家がたくさんの世のなかでは、とても考えられません。
昔の王様は、ちゃんと責任をもって発言をした。そして、それをしっかり記録する人たちがいました。記録の人たちもそれが自分の仕事ですから、王様に配慮したり、王様が発言を取り消すようにと指示を出されても、記録として真実をしっかり残す気概のある人たちでした。死刑にされてでも、記録に残したはずです。恐ろしい執念というべきかもしれない。
アメリカは、今もちゃんと記録を残している気がします。残念ながら、日本はほんの数年前でもどこへ行ったか分からなくなるような、あやふやな記録しか残せていない国のようです。記録官にも気概が欲しいんだけどなあ。
今から二千五百年前の宋の国、そこに景公という王様がいたそうです。王様には気になることがありました。
その後景公なる者あり。熒惑(けいわく 火星のこと)かつてその時をもって心(心宿 さそり座の中の星の位置)を守る。心は宋の分野なり。公、これを憂う。
景公という王様がおられたそうです。空を見上げると、さそり座のあたりに赤い星の火星がやってきて、不気味な印象を与えました。何か悪いことが起こる知らせではないのか、と王様は天文の役人を呼んで、どうしてこうなっているのかと質問しました。さそり座は、宋という国に縁のある星座でした。何とかならないのでしょうか?
司星(天文官)子韋(しい)曰く、
「[災いを]相(しょう 宰相)に移す(振り替える)べし」と。
公曰く、「相は吾(われ)の股肱(ここう 手足のこと)なり」と。
曰く、「民に移すべし」と。
公曰く、「君は民に待つ(必要とする)」と。
曰く、「歳(さい 穀物の出来高)に移すべし」と。
公曰く、「歲飢うれば民困(くる)しむ。吾、誰が為にか君たる」と。
天文の役人さんは言います。「この良くない前兆の禍を大臣のせいになさったらどうです。彼に責任を負わせるのです。いかがですか?」
王様は答えます。「大臣は私の手足みたいなもので、彼に責任をかぶせることなんてできないのです。」
それでは、「人々に、この良くない天の動きは、お前たちのせいだというふうになさったらどうでしょう?」
王様は、「王というのは、人々の上にある者であって、その人々に責任をなすりつけるわけにはいかないのだよ!」
天文の役人は、「それでは、今年の収穫がなくてもいいという風に神様にお祈りをなさったらどうですか? それをかけて、天に誓ってみてください」
「いやいや、収穫がなければ、人々は苦しむことになるし、誰のための王なのか、その根本が揺らいでしまうのです。それも無理です」
子韋(しい)曰く、「天は高くして卑(ひく)きに聴く。君、人に君たるの言三あり。宜(よろ)しく動くこと有るべし」と。
これを候(観測する)するに、果たして徙(うつ)ること一度なり。
子韋という天文の役人さんは感心していました。「天の神様は、地上のことをすべて聞いておられます。あなた様は、王として素晴らしい発言を三度なさいました。きっと天の神様は心を動かされることでしょう」と述べます。
それからしばらくして、あんなにさそり座にとどまっていた火星が移動して、宋という国の運命も開かれていきます。ここからあと二百年この国は細々と続くことになっていくのでした。
素直な気持ちで、純粋に人を大事にする発言をしてくれる人、この国に出てくれないかなあ。みんな小さな利益・自分の利益のみで動かされていて、見ていて納得するような発言はしてくれません。この人の言うことなら、信じてみようという人、どこにもいない感じです。
今日、与党のえらいお方が、オリンピックの中止もありうると発言しただけで、みんなで取り消しさせるような集団なんて、とても信用できません。みんなが思ってることを言えたらいいのに、必死になって「なかったこと」「たまたま言い過ぎてしまったこと」ともみ消してしまう人たち、信用できません。もうすでに人々の心は、この人たちには届いていないのは確かでした。ああ、ザンネン!