私たちは、よほどのことがない限りロープウェーには乗らないのです。
私だって、もう二年くらい乗っていない。今年は特別だったけれど、自由に旅ができてた去年の今頃でも、ロープウエーにわざわざ乗ろうとは思いませんでした。
三重県だったら、御在所岳にあります。でも、もう十数年は乗ってないかも。他には、三重県にはもうありません。滋賀県だったら、比叡山とか、琵琶湖バレイとかあるのかな。よそにどれくらいあるのか、ロープウエーって、昔はあこがれだったのに、今となっては何だか古ぼけたイメージがあります。たいてい老朽化している。
確か二年前、松山城に登る時、乗せてもらった気がします。あれ以来乗るチャンスはありません。
というわけで、伊勢の二見が浦のすぐそばの音無山に昔ロープウエーがあったそうで、その駅がある山頂まで歩いてみようと思ったのです。
何しろ廃墟マニアですから。廃墟心が揺さぶられてる。
淡々と坂道を登り、昔、西行さんが登って月でも見たかもしれないし、穏やかな秋の夜とか、波の音でも聞いたでしょうか。
いや、そんな余裕はありませんでした。たったの119メートルというけれど、それなりに高さはあって、海からは離れているし、別の世界まで来た感じ。すぐ見えてた山なのに、山とは不思議なものです。
夫婦岩のところは、山が迫っていて、確かに背後に山があるのは分かるのだけれど、それがどれくらいの高さなのか、まるで分かりません。
だから、こちらに来たら、海と向こう岸と空と岩しか見られません。
そうなんです。夫婦岩は、後ろを振り向かない名所です。ただ、前にある岩に向き合うだけで、背後は一切忘れて祈る。祈り終わったら、すぐいくつか角があるので、それらを曲がると、夫婦岩は隠れてしまう。
だから、そこにある時だけしか岩を感じられないし、そこを離れたら、またしばらく夫婦岩にも会えなくなるところでした。
実は、その背後にこんな大遊園地がかつてはあったようです。
今は、展望の利かない山頂とロープウエーの駅跡があるだけでした。
ただのコンクリートの塊で、これが果たして何に使われたのか、言われないと分からないくらいに自然の中に埋没しているようでした。
実はロープウエーに乗ると、海から這い上がるように山頂にたどり着けて、お客さんたちはたっぷり海と山と神様と、自由な休暇を味わえたことでしょう。
愛知県や、伊勢湾が眺められただろうし、大阪は遠いし、東京ははるかかなただし、年に何回かここから富士山も見えるということだけれど、それよりも更に遠いのだから、こんな日常をかけ離れたところで、自分たちはお参りしたり、山に登ったり、あれこれしているんだと、当時の人々は満足できたことでしょう。
山上の公園が賑わってた頃に行けたら、どんなだったかと想像してみるけれど、それは少し遠すぎてわかりません。
でも、私が小六の修学旅行は伊勢だったんですけど、たったの一泊しかしませんでしたけど、あの時の夜の華やかさは、ロープウエーがあったころの名残りがあった気がします。旅館の中も外もワクワクするような雰囲気がありました。何年前だろう。もう数十年前のことですけど。
ものすごく賑わってたと思うんだけれど、それから、この観光地はどういうわけか転落していったのですから、栄枯盛衰って分からないです。
私は、今の落ち着いた二見の町はわりと好きで、年に何回かは行きます。今回はたまたま私一人だったけれど、だから、山に登るみたいな無謀なことができたのだけれど、このションボリ感はなかなかのものなんだけど、他の人に伝わらないですね。
もっと、わあ、行きたいという気持ちにさせる何か、それを見つけないとな。少し研究してみます。今週末、またひとりで行ってもいいくらい!