甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

勉強する理由が見つからない、日本

2016年04月14日 21時10分12秒 | 私たちの社会・世界
 2002年の日韓共同開催のワールドカップ、日本は監督にトルシエさんという、フランスの人を採用しました。その後トルシエさんは、ステップアップしたような感じはないから、彼にとっても日本代表の監督をできたのが、そのキャリアのピークだったのかもしれません。

 さて、その時、通訳を担当していたのが、フローラン・ダバディという人で、その人が書いた本をたまたま手に入れることができて、私は次の一節をメモしていました。

 もし私が日本で生まれた日本人だったとしたら、私も勉強しなかったのではないかと思います。
 というのも、まず、これはサッカーの選手にも言えることですが、日本で生まれて日本しか知らなかったら、世界の事情、世界の厳しさというものがわかりません。ですから、いま東京の町にいて、周囲にこんなに楽しいことが満ちあふれているのに、それらを一時的にせよ犠牲にして、なぜ苦労して勉強しなければいけないのか、その理由が見えてこないのも当然です。それが問題です。


 そうか、今の日本の若者は、何もかも満ち足りているわけですね。経済もそこそこだし、適当にやっていればなんとかなるとなってしまうのも、それは仕方がないらしいのです。

 本が出てから十何年が経過していますが、さらに状況は進んでいるでしょう。まわりが放射能汚染されようとも、大地震が来ようとも、津波が来ても、みんななんとかなると思っている。そして、小さなうすっぺらい画面の中こそすべて、というふうにやっている。そこにたくさんの時間をかけてやっている。……私は、スマホは持ってないけど、小さなパソコンの画面に1日何時間向き合うことでしょう……、それはもう、たくさんの時間を費やしています。

 これからの国際化の時代に、勉強しなかったら厳しいことになるよ、外国のエリートに太刀打ち(たちうち)できないよ、危ないよと、繰り返しショックを与えていけば、そうした意識も生まれるかもしれませんが、いまのところ、そんな警告を発する人もいません。

 結局、そうした意識を植え付けられる人は、両親しかいないのです。ですから、家庭教育は大事です。どのくらい両親が世界の状況、世界の真実を子供に教えられるかにかかっています。両親から、そうした指摘、刺激、教育がなければ、子供は勉強しません。それはもう明らかです。


 ああ、私は子どもにどれくらい熱心に伝えられたでしょう。何も伝えられていません。これに関しては深い反省があります。でも、もういくらなんても、うちの子だって、親の失敗から抜けだしてくれてもいいのに……。これは個人的なことでした。失礼しました。



 いま日本で、若者の政治への無関心が問題になっていますが、根は同じです。こんなに豊かで安全で、楽しいことがいっぱいある社会で、誰も政治に関心を持たないのは、ある意味で当然です。外から見ると危ういことがたくさんあるのに、中の人は気づかない。そしてこの平和と豊かさ、快適さが、永遠に続くと思っている、それがいまの日本の若者でしょう。政治への無力感ということが言われますが、つまりは、みんな現状に満足しているのです。

 ですが、政治への無知、無関心は、きわめて危険です。私はパリで東洋語学院に入る前は、アメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校)でジャーナリズムと舞台の勉強をしました。アメリカのジャーナリズムといえば政治ですから、私もかなり政治にのめり込みました。やはり社会の根幹は政治だと思います。

 ですから、いまの日本のように若者が政治に無関心なのは、とても危険です。政治の世界は汚職ばかりだとか、金権政治がはびこっていると言っても、それで興味をなくしていい理由にはなりません。

 ナチスやムッソリーニの台頭を許したのも、その前の政権に対する国民の無関心からでした。政治家=悪人という公式を作って、国民が政治から目を背けたら、コントロールが効かなくなるわけですから、政治家は、それをいいことに好き勝手をやります。


 ああ、今の日本は、無党派といういい加減なことばが横行して、みんなが政治に無関心になりつつあります。18歳から無理矢理選挙権を与えることは決めましたが、両手を縛って字を書け! 耳をふさいで音楽を聞け! というような、あらかじめ制限を加えて、野放しにしている。そして、無党派でいい気になっているうちに、政府に取り込まれてしまうかもしれない。

 ここまで書いてたら、熊本で大きな地震がありました。少し心配です。

 フランスでも九○年代になって、シラクも、ジョスパンも、ミッテランも、右も左も汚職ばかりで、国民が嫌気(いやけ)をさして、選挙に投票に行かない時期がありましたが、そうしたら、たちまち右翼(うよく)の台頭(たいとう)を許しました。

 ヨーロッパでは、国民が政治からちょっと目を離したら、それがひどいことになって返って来るという苦い歴史をたくさん持っていますから、その危険を身にしみて感じています。

 いま、多くの日本人は日本の政治などうんざりだと言っていますが、もし不景気がこれ以上ひどくなったら、きっと怒って騒ぎ出すでしょう。そうなるとかえって危ないのです。それまで政治に知識も興味もなく過ごしてきたわけですから、冷静な判断もできなければ、鋭い識見も持っていない。結果、危ない人物の登場を許してしまうということも起こりうるわけです。
〈フローラン・ダバディー『「タンポポの国」の中の私』(祥伝社)より〉


 今、私たちは、それを許しつつあるのかもしれないです。どうしたらいいんでしょう。とにかく選挙に行く。みんなと政治を語る。新聞を読む。政治のウラを考える。自分の暮らしのことばかり考えないで、政治のことをみんなで考えたいです。

 うちの奥さんは、突然言ってます。直下型の地震が起こるということは、運転中の原発もあぶないということなんだと、私はそこまで考えてなかったけど、すぐ下で起きるということは、とても怖いことだと思いました。九州の人も、考えて欲しいです。でも、私に代替案はあるんでしょうか。それを考えて反対していかなくちゃねえ。


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