七十年代とはどんな時代であったのか、一度ふりかえってみたいと思っていました。
その後半の三年間を高校生として過ごしました。夏目漱石と三島由紀夫・司馬遼太郎は好んで読みました。勉強はあまりできませんでした。
三年生の頃、金曜の八時からNHKで「坊ちゃん」というドラマをやっていて、とても好きでした。この時の主役の柴俊夫さんは輝いていました。夏目漱石は専門的にいつか勉強したいと思ったりしました。中学の終わり頃から、夏目漱石は好きになりました。あんなに読めなかった漱石を次から次と読みました。表現がおもしろいし、当て字のような当時のことばが新鮮でした。
七十年代の若者は「優しい世代」と言われました。熱い全共闘の世代からは遠く、沖縄が返還され、中国とも国交が開かれ、核の恐怖におびえつつも、とりあえずベトナム戦争も終結して、少しずつ世の中全体で豊かさを共有していった時代に、私は育ちました。だから、政治に対しても、どこかのんびりムードで、必死になって闘うという意気地がなかった。他の人たちは、それなりにあったのかもしれないけれど、私はピリッとした政治感覚が持てなかった。
高校になって自転車に乗れるようになりました。高一の一学期に生徒会デビューを果たしました。恋は片思いで終始し、最悪の場合は、とても卑怯な形をとった告白をしました。
勉強はずっとサッパリでした。おかげでいじけまくり、何かで自信をつけたくていろいろしてみましたが、肝心の勉強でくじけますので、基本的にはガッカリ続きでした。そういうところでくじけてないで、もっと何かを磨けばよかったのに、誇れる何も持ってなかった。いや、中学の頃、天狗になっていたので、少し勉強すればなんだってできるんだという、根拠のない自信を持ったせいで、勉強は全くつまずきました。あわてて勉強すればよかったのに、それはそれとして、自分のこととしてとらえられなかった。
図書館にこもっても、すぐに本の所に行って、ぼんやり小説のつづきをよむんですから、とんでもない野郎でした。おかげさまで、吉川英治の「新平家物語」は読み切りました。三国志や宮本武蔵には手を付けず、後になって「私本・太平記」は読みました。ああ、何たることでしょう。
それでも高校が楽しかったのは、おかしな仲間がいて、みんながそれぞれに頑張っていたからだと思います。それによって励まされ、また立ち向かう気持ちになれました。
テレビでヴィヴィアン・リーの「風と共に去りぬ」を見ても勇気づけられましたが、映像体験だけではいけません。実際に父母のふるさとのカゴシマへ出かけたり、電車の座席に腰掛けて奈良盆地へ体を移動させたり、学校行事で冬の登山をしてみたり、とにかく体を動かして体験する方が大事ですし、そちらの方が印象深いものがあります。
出会った人たちとはほとんど音信不通です。ですが、自分の心の中では三十年たった今も生き生きと刻みつけられていて、こうして文章に書き記せば、また新たな感慨さえ湧いてきます。本当に、何でもたいていできないダメ人間の私だったのですが、今となってはどうということはなくて、それよりももっと大切なことがあるような気がしています。
そんな形でしめくくった私の「自分史」高校編でした。これで文学賞をゲット! という甘い考えはずっこけて、予選には残ったみたいですけど、本選には進めなかったようです。
文学のむずかしさです。
私は、物語を求めていますが、私は上手な語り手ではないなあとしみじみ思います。だれかに何かお話をしてあげようということがありません。
ただ、つまらない報告をボソボソと書いているだけです。昔も今も、同じことをしている。それが私の持ち味かもしれない。それをもっと伸ばしたいけど、ここ何日間かは疲れているみたいで、朝、目覚まし時計に起こされても、ガバッと起きれない状態です。……つまらない言い訳はやめて、また、明日から頑張ります。どうぞ、よろしくお願いします。
その後半の三年間を高校生として過ごしました。夏目漱石と三島由紀夫・司馬遼太郎は好んで読みました。勉強はあまりできませんでした。
三年生の頃、金曜の八時からNHKで「坊ちゃん」というドラマをやっていて、とても好きでした。この時の主役の柴俊夫さんは輝いていました。夏目漱石は専門的にいつか勉強したいと思ったりしました。中学の終わり頃から、夏目漱石は好きになりました。あんなに読めなかった漱石を次から次と読みました。表現がおもしろいし、当て字のような当時のことばが新鮮でした。
七十年代の若者は「優しい世代」と言われました。熱い全共闘の世代からは遠く、沖縄が返還され、中国とも国交が開かれ、核の恐怖におびえつつも、とりあえずベトナム戦争も終結して、少しずつ世の中全体で豊かさを共有していった時代に、私は育ちました。だから、政治に対しても、どこかのんびりムードで、必死になって闘うという意気地がなかった。他の人たちは、それなりにあったのかもしれないけれど、私はピリッとした政治感覚が持てなかった。
高校になって自転車に乗れるようになりました。高一の一学期に生徒会デビューを果たしました。恋は片思いで終始し、最悪の場合は、とても卑怯な形をとった告白をしました。
勉強はずっとサッパリでした。おかげでいじけまくり、何かで自信をつけたくていろいろしてみましたが、肝心の勉強でくじけますので、基本的にはガッカリ続きでした。そういうところでくじけてないで、もっと何かを磨けばよかったのに、誇れる何も持ってなかった。いや、中学の頃、天狗になっていたので、少し勉強すればなんだってできるんだという、根拠のない自信を持ったせいで、勉強は全くつまずきました。あわてて勉強すればよかったのに、それはそれとして、自分のこととしてとらえられなかった。
図書館にこもっても、すぐに本の所に行って、ぼんやり小説のつづきをよむんですから、とんでもない野郎でした。おかげさまで、吉川英治の「新平家物語」は読み切りました。三国志や宮本武蔵には手を付けず、後になって「私本・太平記」は読みました。ああ、何たることでしょう。
それでも高校が楽しかったのは、おかしな仲間がいて、みんながそれぞれに頑張っていたからだと思います。それによって励まされ、また立ち向かう気持ちになれました。
テレビでヴィヴィアン・リーの「風と共に去りぬ」を見ても勇気づけられましたが、映像体験だけではいけません。実際に父母のふるさとのカゴシマへ出かけたり、電車の座席に腰掛けて奈良盆地へ体を移動させたり、学校行事で冬の登山をしてみたり、とにかく体を動かして体験する方が大事ですし、そちらの方が印象深いものがあります。
出会った人たちとはほとんど音信不通です。ですが、自分の心の中では三十年たった今も生き生きと刻みつけられていて、こうして文章に書き記せば、また新たな感慨さえ湧いてきます。本当に、何でもたいていできないダメ人間の私だったのですが、今となってはどうということはなくて、それよりももっと大切なことがあるような気がしています。
そんな形でしめくくった私の「自分史」高校編でした。これで文学賞をゲット! という甘い考えはずっこけて、予選には残ったみたいですけど、本選には進めなかったようです。
文学のむずかしさです。
私は、物語を求めていますが、私は上手な語り手ではないなあとしみじみ思います。だれかに何かお話をしてあげようということがありません。
ただ、つまらない報告をボソボソと書いているだけです。昔も今も、同じことをしている。それが私の持ち味かもしれない。それをもっと伸ばしたいけど、ここ何日間かは疲れているみたいで、朝、目覚まし時計に起こされても、ガバッと起きれない状態です。……つまらない言い訳はやめて、また、明日から頑張ります。どうぞ、よろしくお願いします。