甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

川の流れとヒマワリ

2021年07月13日 21時26分34秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 好きだった映画「ひまわり」は、1970年の映画でした。

 イアリアの監督のヴィットリオ・デ・シーカさんの作品でした。「自転車泥棒」(1948)からずっとイタリア映画界で活躍された人で、私も何本かは見たはずです。どんな映画があったのか、見直してみなくちゃいけないくらい。

 でも、「ひまわり」は印象的でした。それは、なんてったって、ソフィア・ローレンさんが出ていたからです。

 あれ、私はいつからソフィア・ローレンさんを意識してたんだろう。テレビのコマーシャルなんだろうか。それとも、小さい時にやみくもに見た映画に出てたんだろうか。あの目とあのプイッとする口もとが、小さいながらに魅力的に見えました。もう少し後になったら、ソフィア・ローレンさんはふくよかな女性であるというのを知りましたけど、小さい時はお顔に魅入られました。

 小さい時に見ていた「オバQ」の声を担当していた曽我町子さんにも重なるところがありました。どっちにしろ、初めて知る外国の女優さんでした。ヒヨコが初めて見た大人についていくみたいに、ヒョイヒョイつられていました。



 映画「ひまわり」は好きだから見たんだけど、旦那さん役のマルチェロ・マストロヤンニさんを初めて知ることもできたし、ソ連のロケで出てくるリュドミュラ・サブェリエワさんも素敵でした。

 リュドミュラさんは、何てったって「戦争と平和」が可憐だったけれど(中学のころテレビで見たのかなあ)、もう何十年もまともに見ていません。なんとなく毎日が仕事に追われていて、落ち着いて映画も見ていないです。おそらく、このままずっと昔の記憶だけでやりすごすような気がします。もっと何度か確かめなきゃいけないのにな。


 それで、ふとイタリアはどうしてロシアに攻めていったんだろう。そういう事実はあったのかなあと、突然に気になったんです。

 第二次世界大戦で、ドイツがソ連に攻め込んでいったのは有名です。ヒトラーさんは、自分がナポレオンになった気分で、同じようにロシアの大地に進軍し、ナポレオンが果たせなかったロシアを占領地・植民地にする壮大な計画があったんですね。

 そして、ナポレオンも、ヒトラーさんも、ロシアの人々と大地を甘く見ていて、そこでひどい目に遭って、やがて自らの破滅に進んでいくんですから、不思議な事実でした。

 これから、人間の歴史の中で、三度めの正直でロシアを占領してしまおうなんていう人は出てこないと思うけれど、そんな人がいたら、たぶん、その人も自滅するでしょう。ロシアって、広くて、寒くて、どこまでも深くて、人はどこからでも出てくるでしょうし、次から次と新たな敵は出てくるはずです。私たちには想像もつかないところです。

 ロシアを攻めるなら、それは中央アジアからモンゴル帝国みたいに侵略していかなくてはいけません。でも、それもそんなに長続きはしなかったのかな。ロシアって、不思議な所です。だから、もうプーチンさんでも何でもいいから、好きなようにしていてね、と思ってしまう。永遠の不思議な隣人です。


 イタリアは1943年ころまではムッソリーニさんが現役の権力者だったみたいだけど、たぶん、その時にドイツに合わせてソ連を攻めたのだと思われます。

 映画では、ナポリの夫婦が引き裂かれ、ソ連に夫は兵士として向かい、そちらでケガをして向こうの女性に助けられ、そのまま居ついてしまうのでした。

 なんということでしょう。地元には妻がいるのに、戦地で新しいお相手ができてしまうなんて、マストロヤンニさんはあまりにいい役じゃないですか。

 いや、兵士なんだから、どうせ死んだ命だと思って、流れに身を任せていたんでしょうか。何しろ、母国は、すぐにアメリカと連合軍が北上していくし、国内の軍隊は崩壊するし、ムッソリーニさんは、そうした混乱の中で人々に命を奪われてしまうし、進駐軍のドイツに占領されてしまうし、大混乱があったのだと思われます。

 

 やがて戦争は終わり、妻はロシアに向かい、現地で細々と生きている夫を見てしまう。そして、情けない気持ちでひとことも言葉を交わさないで去ってしまうのでした。

 あれ、終わりはどんな形だったかな。そこからプツンと記憶は途絶えています。

 よりを戻そうとも、離れ離れのままであっても、家族が引き裂かれたのは確かで、簡単には戻らなかったでしょう。そんなことはもうどうでもよくって、引き裂かれた辛さをしみじみ感じる映画でした。

 私は、どちらかというと、ソフィア・ローレンさんびいきだから、何という夫だ! と、マストロヤンニを責める気分があったけれど、今となってはそれは仕方がないよなあ。人って、人の気持ちって、流されていくもんなんだよなと、流されてしまった男・マストロヤンニさんに同情的な気分ではあります。


 オッチャンの私には、流される川もなくて、砂漠の中をトボトボと膝をかばいながら歩くだけしかできません。そんな気持ちの川、かつては経験したんだろうか。たぶん、そんなのなかったと思います。二十歳の時の彼女とずっと今まで何とかやってきたわけですから。

 ということは、奥さんはあふれる川ですか。そうかも。私だけ砂漠です。ハーア。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。