イーグルスの「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」を買ってから、もう十年以上経過しているんですね。あっという間だった。
久しぶりのイーグルスの新作、しかも二枚組ということで、嬉々として輸入盤を買ったんですよ。歌詞カードは要らなかった。当時としては珍しいこだわりの紙ジャケットCDでした!
いつも頑張ってるドン・ヘンリーさんよりも、ジョー・ウォルシュさんの曲が気に入るのはいつものことだったけれど、グレン・フライさんもいい曲つくってるじゃないの! と思ってたら、しばらくして亡くなられて、こうして私の青春時代を築いてくれた方々がおられなくなるのだと寂しくなりました(何もかもお見通しのような最後のアルバムだったのかなあ)。
あとしばらくして、私そのものもいなくなったら、私の青春なんて、とっくの昔に消え去ったけれど、私はアルバムを出したわけでもないし、詩集出したわけでもないし、何も残さないままに消えてくことになります。
まあ、それはほとんどすべての人がそうなるわけで、ほんの一握りの人だけがアルバム出したり、詩集出したりするだけです。それだって、ほとんどのアーチストや詩人も、すぐに歴史のかなたに消えていくことでしょう。
いくら嘆いても、それは仕方がないんです。
そうですね。そういうものでした。時間の波にもまれても消えないもの、そういうのを作れる人はそんなにいなかった。
私は、学生のころ、16mmの映写機の資格を取りました。講習に行き、フィルムをケースから取り出し、すべてセットして機械を回したり、フィルムが切れたらどのようにしてつなぐかとか、二台の映写機を使って、切れ目のないプログラムをいかに実演するかとか、教わりました。
16mmのフィルムは切れたりするし、ひと巻が40分くらいしかなかったから、長編の映画なら、3巻くらいあったから、もうすぐ切れるというところでサッと次の機械に切り替えなければならなくて、35mmフィルムでも、そういう切り替えをやってたから、映写技術の妙というのがこんなとこにあるんだろうなと思ってたんでした。
どうして私みたいなマヌケな人間が、そんな細やかな技術者にならなければならなかったのか?
それは、大学の映画上映サークルを組織して、都会からフィルムを借りてきて、大学の中で上映することをやったからでした。
今ならDVDとプロジェクターで簡単にできることを、80年代の田舎の学生は、アナログに公共機関から映写機を借りて、何もかも手配して学生の間で公開したものでした。ローカルな話でした。
そういう手作りのイベントみたいなの、やりたかったのか、たまたまメンバーに入ったから、乗り掛かった舟で資格まで取ったのか、なりゆきで私みたいなものが技術者になりました。
フィルムを手配するのは、そういうのが得意な子がして、キップ作ったり、会場を借りたり、ソワソワしながらやりました。
イーグルスは関係ないよね?
何回かやったからなのか、日本の映画とか、サイモンとガーファンクルのライブシーンとか、80年代はミュージックビデオというのが注目された時代で、その古いフィルムも借りてきて、上映したことがあったから、S&Gの「いとしのセシリア」だったかな? 「アイアム・ア・ロック」だったかな、何度も見ましたし、どこでフィルムはどうなるか、何度も何度もハラハラしたものでした。
イーグルスのフィルムは、「ホテル・カリフォルニア」が見たくて借りた仲間がいたんでしょう。私は赤と青が目に残る70年代のライブシーンよりも、メンバーがマイクに立ち、楽器はやらずに声だけで「セーブン、ブリージズ、ロード」と歌う曲が気になったものでした。こっちが音が散らないし、声だけ聴いてればよかったんだった。そう、確か私の持ってたポンコツのスビーカーを持ち込んで、少しでもいい音をとショボい工夫をしてたんでしたね。
あっという間の40年ですか。まあ、私なりにいろいろあったわけですけど、16mm映写機も映画のフィルムもだーれも知らなくなる時代はすぐに来るでしょう。時代は過ぎていくもんなんですもんね。
想い出しました。