甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

夢違い観音の向こうに 菅笠日記

2025年02月11日 15時33分58秒 | 宣長さんの旅

 もう何年も宣長さんの『菅笠日記』を読んでいますが、早く宣長さんを松坂に帰してあげなくちゃ! まだ吉野におられるみたいです。桜はかなり散ってしまったようで、現代のカレンダーで言えば、四月末くらいになっていますか?

 ゆきゆきて。夢ちがへの観音などいふあり。道のゆくてに。布引の桜とて。なみ立てる所もあンなれど。今は染めかへて。青葉のかげにしあれば。旅ごろもたちとまりても見ず。
 しばらく行くと、夢違い観音さまという仏様がおられるそうです。道のもう少し行ったところでしょうか。布引の桜という名所もあって、人気の場所というそうですが、今はもう桜も染め代わり、青葉の下に花があるのかどうか、旅ごころがあっても、見られないのです。

 かの吉水院より見おこせし。瀧桜くもゐざくらも。このちかきあたり也(なり)けり。世尊寺(せそんじ)。ふるめかしき寺にて。大きなるふるき鐘などあり。なほのぼりて。蔵王堂より十八町といふに。子守(こもり)の神まします。
 吉水院より見渡した滝桜(滝のように上から下へ流れるような桜)、雲居桜(空の雲のようにふわふわと浮き立つような形状の桜)など、ようやくこのあたりにあるようです。世尊寺も、古めかしいお寺で、大きな古い梵鐘があります。なおもしばらく登ると、蔵王堂より二キロほどになりますが、子守の神さまがいるっしゃいます。



 この御やしろは。よろづの所よりも。心いれてしづかに拝み奉る。さるはむかし我父なりける人。子もたらぬことを。深くなげき給ひて。はるばるとこの神にしも。ねぎ(禱)ことし給ひける。
 このお社には他のところよりも心を入れて静かにお祈りをさせてもらいました。というのは、昔、うちの父が、子どものないことをお嘆きになり、はるばるとこの神さまにお願いなさったというのを知っていたからでした。

 しるし有りて。程もなく。母なりし人。たゞならずなり給ひしかば。かつがつ願ひかなひぬと。いみじう悦(よろこ)びて。同じくはをのこゞ(男子)えさせ給へとなん。いよいよ深くねんじ奉り給ひける。われはさてうまれつる身ぞかし。
 その霊験があって、しばらくしたら母上が私を身ごもりなさって、とうとう願い日がかなったと父上はたいそう喜び、できるならば男の子をお授けくださいと願われて、私は生まれたということでした。



 十三になりなば。かならずみづからゐ(率)てまうでて。かへりまうしはせさせんと。のたまひわたりつるものを。今すこしえたへ(堪)給はで。わが十一といふになん。父はうせ給ひぬると。母なんもののついでごとにはのたまひいでて。涙おとし給ひし。
 私が十三になったなら、必ず父上は私を連れてこの吉野の子守の神さまにお礼参りを一緒にしようとおっしゃっておられたのです。それがあと少しというところ、私が十一歳の時に、父上様は亡くなられて、何かことあるごとに母上はい話され、涙を落としておられました。

 かくて其(その)としにも成りしかば。父のぐわん(願)はたさせんとて。かひがひしう出(いで)たゝせて。まうでさせ給ひしを。今はその人さへなくなり給ひにしかば。さながら夢のやうに。
 やがて私も十三になり、父上の願掛けしておられたことをテキパキと用意して、私をお参りの旅に出させてくれた母上でしたが、今はその人さえ亡くなってしまって、まるですべては夢のような気さえするのです。



  思ひ出(いづ)るそのかみ垣にたむけして 麻(ぬさ)よりしげくちるなみだかな。
 袖もしぼりあへずなん。
  あれこれと思い出は湧き出てまいります。父や母のゆかりのある神さまにお参りをして、その神さまにお捧げする幣(ぬさ)よりもたくさん流れてしまう私の涙なのです。
 もう袖もしぼれないほどの、あふれる涙というのでしょうか。

 かの度(たび)は。むげにわかく(稚)て。まだ何事も覚えぬほどなりしを。やうやうひととなりて。物の心もわきまへしるにつけては。むかしの物語をきゝて。神の御めぐみの。おろかならざりしことをし思へば。心にかけて。朝(あした)ごとには。こなたにむきてをがみつゝ。又ふりはへてまうでまほしく。思ひわたりしことなれど。
 かつて十三歳でお参りしたときは、ただただ幼くて、何ごとも理解できない年齢でありましたが、ようやく大人になって、物や人の心もわきまえ、昔のお話を聞いて神さまのお恵みの大きいことを思い、心の中では朝が来るたびに吉野の神さまに向かって感謝して、どうしても直接お参りしたいと思っていたことでした。



 何くれとまぎれつゝ過ぎこしに。三十年(みそとせ)をへて。今年また四十三にて。かくまうでつるも。契りあさからず。年ごろのほいかなひつるこゝちして。いとうれしきにも。おちそふなみだは一ッ也。
 日々の生活に追われて過ごしていて、三十年が経過して、今、自分は四十三歳になりました。こんなにしてお参りしているのも、この神さまとの縁は浅くはなく、いつかまたお参りしようという願いが叶い、その嬉しさに涙はひとしずく流れてしまうのですよ。

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