先日、宮崎の海岸の周囲二キロたらずの岩場だらけの島で子育てをするトリたちに取材した番組を見ました。
ミサゴ(魚を食べる猛禽類)のペアと子育て、他にはどんなトリがいたのか、イソヒヨドリもいました。三重県の普通の町中でも見かけるようになったイソヒヨドリですけど、本来は、岩場のすき間で子育てをするようでした。
びっくりしたのは、ウミスズメだったか、カンムリウミスズメだったか、たぶん、カンムリウミスズメかな。子育てには細心の注意を払い、巣を作り、卵を産み、孵化して、生まれたらエサを与えます。それが、なんとたったの二日間ということでした。
生後二日か三日のヒナを海に連れ出し、親子ともども海に浮かぶ生活を始める。食べ物は自分で取るのか、それとも海に浮かんでいるヒナに持ってきてやるのか。そもそも寝るときはどうするのか。
たぶん、海の上で寝るのでしょうか。そんな水上生活を続けるようです。それで、一人で生活できそうだったら、あとは本人に任せるなんて、親たちは次の子どもの準備をするみたいですけど、ヒナとしては心細いでしょうね。
でも、そういう生き物たちもいる。アザラシも、親は最後に子どもを氷の上に残してどこか遠いところへ行ってしまう。泣こうがわめこうが、本人の生きる道だし、運命と自然にゆだねてしまうらしいですから、ウミスズメはまだそばで見ていられるから、自分たちなりには納得できるでしょうか。
とはいえ、海の上は危険だし心細いものではあるから、親としては心配であるには違いない。
そう、子育てとは、親としてはどうにもできないところがあって、子どもにずっと寄り添ってあげたいけど、それが絶対にできないので、あとは本人が切り開くしかない、本人に頑張ってもらいたい、そんな祈る気持ちしかないでしょう。
自然は、野生に生きる動物たちは、厳しい世界の中で、子どもたちの無事を祈りつつ、自分たちの運命を続けるしかないから、みんなそれぞれの道で一生懸命になっていく。
さて、人間は、自然界とは違う別の厳しさがあるから、親たちはなるべく子どもが無事に生きていけること、本人が納得して生きていくこと、それを願うしかありません。
そして、親たちの願いとは少し違いながらも、子どもたちはそれなりに生きていくものだと思います。
でも、人間は、人間の力で人の命を奪い合うことを平気で、大義名分を述べ立ててやっていくものではあるから、個々の命は、大きな流れに巻き込まれて簡単に奪われてしまうこともあるようです。
そんなことを許してはいけないのに、私たちは知らない間に、たくさん、たくさん見逃している気がします。ほんのクルマで何時間という距離の場所におられるたくさんの命でさえ、私は何もできていないし、何とかなるだろうと思っている。できれば、何かしたいけど、何もできていない。
そういうことがどれだけ、この二十年でもあったでしょう。私はいつも無力で、ボンヤリしているだけだった。気にしていないわけではないのに、何かするのかというと、何もできていなかった。たぶん、これからもそんなにしてボンヤリしたまま、何もできないで私は終わってしまうのかもしれません。
それではいけないと思うけど、うまく行動できていない。
子どもたちの、子どもが育っていく瞬間を見送っていきたいと思います。私が関われるのはほんの一瞬です。子どもたちは自分で育ち、生きていくしかないのかもしれない。ただ、私はできるだけのことをしていきたいです。