ものすごく古いメモから抜き出してみました。
瀬戸内寂聴さんに朝日の記者さんがインタビューに出かけて、こんな話を聞いてきたそうです。
(記者)日本の社会を見ていて、これだけは二十世紀で終わらせたいと思うことがありますか。
(寂聴さん)いま必要なのは日本の大掃除だと思ってるんです。まず政治家や官僚と経済界の癒着(ゆちゃく)を断ち切ること。そして、ここまで日本をダメにした人たちには退場してもらわなければならない。荒廃した教育にも引導(いんどう)を渡す。それができなければ日本は滅びてしまうんじゃないですか。
それから23年経ったけれど、何にも変わっていないですね。むしろ悪くなりましたよ。教育は政府が教育にかけるお金がなくて、人はいない。施設は古くなった。ITは個人負担で用意させた。プロジェクターとか、ネット環境は整備しましたね。そういう先端施設には予算がつくようですね。
何年か前から、政治主導ということで官僚を締め上げたそうで、政治家の思い通りの行政が可能になりました。まずい情報はすべて消すことが可能です。そして、政治家の不都合な事実は何も触れられなくなりました。どちらかというと、悪くなったというべきでしょうか。
(記者)手厳しいですね。
(寂聴さん)七十八歳まで生きてきて、こんなに悪い時代、悪い日本になるとは予想もしなかった。どんどん悪くなるばかりです。表面的には平和に見えるけれど、底の方は腐っている。それなのに政治家にも経済界の指導者にも、危機感や自覚がない。
そうです。どちらかというと、事後対応と自己都合ばかりが優先されて、世界へ打って出る翼はなくなってしまいました。外国にはあまりいかなくなりました。それでも日本にやって来ようという人たちはいるけれど、みんなあまり期待せずにやって来ている。
どちらかというと、知人が日本にいたから、その人を頼ってやってきた感じです。そして、中国に行けば儲かるかもしれないけど、生活していくのは大変そうだし、外国の人たちが生きていくには、ほどほどによい環境という気がします。
(記者)だれに責任があるのでしょうか。
あなた、簡単に答えを求め過ぎだよ。寂聴さんはそりゃ、何でもコメントしてくれるけど、自分で考えたらどうなの? この頃から、記者さんは自分で考えるのをやめたんだろうか。いや、時々は考えた記事を書きますか? 編集長に認められて、やっと考えを書けるようになるのかな。まあ、私たちは、メディアに期待してないのかもしれないですね。
(寂聴さん)[責任があるのは]すべての日本人でしょう。子供たちが悪くなったと言うけれど、子供は大人の背中を見て育つんです。子供だけしっかりしろと言ったって無理です。大人に緊張感がない。他人のことを思いやる想像力も失っている。
自分の国さえよければいい。自分の町さえよければいい。自分の家庭、自分さえよければいいという利己主義が通ると思ってる。
そうなんですね。もう二十年以上前から、私たちは自己中心的にさせられてきたんでした。他人のことなんか考えないで、自分が食うことだけを考えろ、ってさせられてきたんでした。昔は、もう少しみんなで心豊かな生活を志向することがありましたもんね。
(記者)なぜ、そんなことになったのだと思いますか。
(寂聴さん)敗戦ですべてを失い、失ったものを取り返そうと、戦後の日本人は目に見えるものだけを追いかけてきた。そのために、人間の心や宇宙の生命のような、目に見えないものへの想像力や畏敬の念を失ってしまったんです。
昔の日本人は食べ物に対しても敬虔な感謝の気持ちをもっていた。着るものに対してもそうです。そうした精神文化がなくなってしまった。
確かに、感謝の気持ち、一日が終わってホッとする感じ、家族みんなでのんびりする夕食時、そういうのを失いつつありますね。もうみんななくしてしまいましたか?
(記者)日本の未来像は暗いようですね。
(寂聴さん)このままでは21世紀の日本はないと思ってました。
でも少し考えを変えたんです。最近は対談などでも、できるだけ若い作家や芸術家たちに会うようにしている。どの分野でも、一芸にすぐれた若者は自分をしっかり持っている。権威や肩書にとらわれず、自分の触覚に触れるものだけを信じている。しかも日本だけでなく、広い視野で世界を見ています。そうした若者が出てきている。
確かに、若い人はすごいかもしれない。どうして今の若い人がこんなに前向きなのか、それはものすごく世の中がダメな雰囲気をひしひしと感じて育ってきたから、このままじゃいけない! という危機感をずっと持ち続けてきたんですもんね。
(記者)そこには希望が持てる、と。
(寂聴さん)それが唯一の希望かもしれませんね。
……2000.11.18 Sat 朝日新聞より
若者たちが唯一の希望、それはずっとそうですし、今もそうです。当時若かった私も、もう若い人だけが希望にはなっていますね。