甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

瀬戸内の花崗岩つながり

2021年02月01日 22時01分15秒 | 海と水辺と船と

 この前の土曜日、いつものように「ブラタモリ」を見ていました。村上海賊という集団が、今のしまなみ海道あたりの複雑な海流と島々の位置関係の中で、戦国時代に上手に世の中に存在していたのだという話を見ていました。

 最近のこの番組、音楽が少しうるさかったり、クイズ調の案内人がたくさん出てきたり、それをタモリさんがあっさり答えるとか、パターンが決まりすぎてて、そこが残念な気はしましたけど、もう少し自分のやってる仕事にマニアックで、タモリさんもびっくりするくらいの、くどくて、細かくて、あくの強いところ、みなさん本当は持ってるはずなんだけど、制作側がテレビ的に分かりやすくしようとするのか、みんな同じパターンに陥っている。

 わざわざクイズなんてしなくていいから、自分の好きなことを語らせてあげたらいいのに、番組として確立しているから、もうそのパターンでいくんだろうな。そこが少しザンネンです。みんな毒気を抜かれて出させられている。いや、わざと無毒な人ばかり選ぶようになったのかどうか……。

 ディレクターに新しい力、女性監督とか、もっと入れるべきかもしれないな。

 それで?



 それで、瀬戸内海でしたね。

 村上海賊さんは、ある島では城塞化して海に浮かぶお城を作っちゃうし、ある島では塩田事業を起こすし、土地の魅力を最大限に利用して、自らが食えるもの作りをしていたみたいでした。

 大三島だしたか、細かい砂の蒸散作用を使って、塩を作ってたということでした。ここで、瀬戸内の島々では花崗岩がわりと多くて、それらが砂浜も作っていたということでした。中国地方は花崗岩がずっと東西に続いているみたいで、その崩れたものが、砂浜を作っているということでした。

 そして、花崗岩は御影石にもなるわけだから、戦国の頃はたくさん切り出されて、城壁・石垣などに利用されたようです。

 岡山県に、ベネッセという教育産業がアートの島を作ったとかいう話はあったけれど、あれは岩が切り出されて荒れていた島を再生させるためのプロジェクトでしたよね。それくらい、あちらこちらで瀬戸内の島は、石や土砂が切り出されていたようでした。


 それで、この前に見た「日曜美術館」では、松井守夫さんという画家さんが、兵庫県の家島諸島に行き、そちらで絵をみんなと作り上げていく番組を見ました。島の守り神である家島神社、そこの社務所の座敷の襖絵を描く作業と、同時に、地域のお祭りでの小学生たちとコラボした絵を展示する、二つの絵に向かって、島のあちらこちらを松井さんが取材・スケッチしていくのです。

 家島諸島というのは、小学校の全校生徒が44人だというし、漁業と観光と砕石の島だったみたいで、西島というところは、島の形が変わるくらいにあちらこちらが今も島全体が切り取られていました。

 たまたまテレビを見ていて、兵庫から山口県にかけての花崗岩・石灰岩の地層が広がっている、というのをしみじみ感じて、それは島々でも、四国側でも、山陰側でも東西に分布しているということでした。

 山口県には小野田セメント、宇部セメントなどの会社があります。海を渡って福岡には麻生さんとこのセメント会社もあります。古い昔からの山地であった岩手県を南北に広がる高地にも石灰石があって、うちの奥さんの実家の方にもセメント会社はあったし、そこに宮沢賢治さんも晩年の頃は通ったりしたということでした。



 秩父にも、大きなセメント会社があります。三重県の北部の山側にも、大きな採石場があります。それはもう百何十年、日本は自分たちの山に隠されている石を使って、あれこれしてきたけれど、海に沈んでた土地もたくさんあるから、石灰石はたくさん取れるんでしょう。そして、それらを使って、セメントの王国を作ってきたんですね。

 木の文化は捨てたんだろうか。まさかね。でも、セメント崇拝はすごいよなあ。





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