今朝、六時半くらいに起きました。それなりに寝坊した感じですけど、そこからムクリと起きることにしました。すでにうちの奥様は散歩に行ったかもしれない、自分は取り残されてしまった、というのを感じながら、モタモタと起きました。
けれども、休みの金曜日で、当初の計画では、京都の出町柳駅から歩いてすぐの知恩寺というところで行われている古本市に行く気満々でした。気持ちはものすごくありましたけど、残念なことに誰にも宣言していなかった。大阪の母にも、大事な大事な奥様にも話してなかったのです。それらしい空気も出してなかったし、どの電車に乗るのか、調べてもいませんでした。
散歩から帰って来た奥様に、切り出しにくいけれど、ここは言ってしまおうと、「京都の古本市に行きたいんやけど」と話してみたら、今朝突然のことでもあり、彼女としては、聞いていないし、別に何か用事があるわけではないけど、あまりに突然ではないの? という感じで、「お母さんには電話したの?」と聞いてくれました。
もちろん、母にも、誰にもないしょで、自分ひとりで決めてたことだから、それを今朝になってやっとこスイッチ入れて、「さあ、行こう」としたわけですが、あまりにスイッチを入れるのが遅すぎで、彼女は、もうどうでもいいや、何を言ってもこの夫は、とあきれた感じ。
それはわかってたことなのに、それでも言えてなかった。そして、当日の朝、突然の宣言であった。
それからしばらく、ネットで電車の時間を調べるでもなく、何をするでもなくパソコンを開いていると、彼女をそんなに嫌な思いをさせていくものでもないな、と気持ちが切り替わって、行きたいなら、彼女に前々から打診するのは当たり前で、それができていない段階で今回の京都行きは無理だと気持ちも変わり、諦めることにしました。
彼女は、「行かないの?」と言いますが、もうすでに行く気はなくなっていた。何しろ、行くまでに四時間、そこで何時間か過ごせたとして、帰ってくるのもまた四時間では、何だかもったいないと思えたのです。
それに、お金があまりなくて、よくもまあ、お金もないのに京都に遊びに行こうなんて考えられたものでした。アホみたい。みみっちくフラフラするだけでしたね。
反省して、今日はいつも通りにネットもしない。庭仕事は少しだけ。家の掃除もあまりしない。片付けもしない。何もしないまま、野球もなかったので、ボンヤリと夜を迎えています。たぶん、本読んで寝るだけでしょう。
そういう一日でしたか。知らなかった。まあ、たいていがこんな風に、特に何もしないままに過ぎていくし、お仕事に出たとしても、たいしたことはしていない。こんなに何もしなくて大丈夫かな? そして、何かをする、何かをしたというのは、いったい何がそれにあたるのか、分からなくなってしまうのです。私なんて、ずっと何もしていない。ただボンヤリ生きてるだけだ。まあ、そんなに悩まないで、たいしたこともしないままに生きていきます。
それで何とかなってるから、それでいいかな。ガザの人たち、ウクライナの人たち、その他の人たちのことを考えたいです。