森本哲郎さんの『そして、自分への旅』(1980 角川文庫)は、今日読み終わりました。ことばとそのことばをめぐる森本さんの思索がいくつかのエピソードごとに深め方もいろいろで、さすが森本さんだなと感心して読みました。私個人としては、芭蕉さんと弟子の去来さんとのやりとりの中のことばの難しさが面白いと思いました。けれども、うまくまとめられなくて、とりあえず読んだというところです。
たぶん、しばらくしたら、何もかも忘れてしまうでしょう。どうしてこんなザルみたいな頭なのか、もう悲惨な状況です。本を途中から読み始めると、何もかもがゼロになっていて、途中から読む意味があるのか、もう一度最初から読まなくていいのか、また、最初から読んだとしても、読んだそばから何もかも忘れているから、たぶん、途中からでもいいのだと思いますが、ひどいありさまです。
そして、森本さんのことばをめぐる思索のシリーズは既に5冊も出ていて、この『そして、自分への旅』というのは第6弾だったようです。これから、古本市で見かけるかもしれないけど、もう買わないかもしれない。何しろ忘却率が高すぎです。読んだ直後なのに定着率がゼロだったら、読む意味ないですもんね。ほんとにアホすぎる私です。
右っかわは、松本清張さんの『岸田劉生晩景』とは、1980年に単行本が出て、1983年に新潮社から文庫本が出たそうで、まだ清張さんはお元気だったようです。亡くなられるのは1992年だそうで、ついこの間みたいな気がしていたけど、もう亡くなられて33年になるんですね。今の若い人たちは、松本清張と聞いても、何もピンとこないだろうな。
岸田劉生さんのことを取り上げているというから、興味本位で買ってみました。5つの短編が入っていて、最初のお話は、鳥取や島根にルーツのある清張さん家族が、広島、下関、そして、小倉へと移転してきた家族の歴史を、大成した作家としてふるさとをめぐるお話で、そういう過去の歴史をよくぞたどったねえと感心しました。そのあとの中学の校長を退職した主人公の隠居中の妄想話で、これは清張さんがこんなつまらない話を書いてもいいの? と辛い気持ちで読みました。どうにか50ページほどを苦痛いっぱいで、ヘトヘトになって、時間もかかって読みました。そのあとの鳥羽僧正という話の軽やかなこと。どうしてこんな話を書かないで、つまらないジイサン話を書いたのだろうと、今でも信じられないくらい。
まあ、とりあえずクリアしたから、次はスイスイ読めるかな? 読み進めるために読んでるみたいなもので、中身は何も残らない、これは怖いですね。