5冊の本を朝日の中で撮ってみました。冬の光だから、まだ耐えられますけど、これが夏だったら、もう目が焼けそうです。何だか夏の厳しさを思い出しています。夏だったら、もう家の中にはいられないです。どこか涼しい所や日陰に行かなくては! 冬って、考えようによってはありがたいのかもしれない。
でも、冬は冬で寒いのだから、それをうまくしのいでやっていかないといけない。まあ、みんながしていることでしたね。
これら5冊の本は、今の寝るときの本です。とっかえひっかえなのではなくて、寝転んで本たちを見ないで手をのばして、手に触れたものを取り上げて読みます。たいていは、ほんの少し読んだら眠くなって、寝てしまうので、寝るための本です。
吉村さんの『大黒屋光太夫』は、読もうと思って買って、上巻の半分以上読みましたが、太平洋を漂流していた時は苦しくて、もう止めようか、なんて思ったけれど、今はもうカムチャツカに来て、ふるさとには戻れないんだね、というのをしみじみ感じている場面でした。
江戸時代に、三重県からたまたまロシアに流れ着き、モスクワやペテルブルグまで行って、やがて帰還したという光太夫さんの来歴を読んでいますけど、私の何になるか? まあ、細部はすべて抜け落ちていくのだから、読んだねという記憶だけになるんでしょうか。何をやってるんだろうなあ。
米原万里さんは、本当にすごい方で、どの本を読んでも、すごい人だったんだなと思わされ、今は彼女がこの世にいないという現実に目の前が真っ暗になります。こうして私たちは、少しずつ自分の未来はそんなに明るくもないし、長くもないし、この世からひっそり去らねばならないということに沈黙させられます。でも、相変らず感心するために、チラチラとPCが開いてくれるまで読書をしている。
清張さんは、読み始めましたが、近ごろは少し避けています。そんなに面白いわけではなかった。水上勉さんは、ご自身の小僧時代から福井の思い出までいろいろと書かれていて、一緒に水上さんの人生の話に感心したりしています。これはわざと大事に読んでいます。なかなか読み終わらない。
倉田百三の『出家とその弟子』1949 は、何年か前にブックオフで買った本でしたが、戯曲であるというのを最近知り、親鸞さんがそのうち出てくるというから、それを楽しみに少しずつ読み始めました。今のところ難しいわけではないけど、眠くはなるので、脳みそがとろけてしまうみたいです。
ああ、こんなにして私は脳みそをとろけさせて、アホになっているみたいです。でも、きっと読み継がれる何かがあると思うんですけど、見つけられてないです。
これら5冊以外にも、あれこれと持ち出した本があります。こんなに浮気性では、何一つものにならないです。まさにその通り。何一つものにはなっていない。でも、こんなにしてやっていくしかないみたいです。頑張ります。