甘い生活 since2013

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ビゼーの交響曲とロマと

2018年01月08日 21時19分17秒 | わがまま音楽

 先日、ひとりでクルマに乗っていた時、たぶん朝のクラッシック(FM放送)だったと思われます。そこで何年ぶりかでビゼーの交響曲を聞きました。

 ビゼーさんは、なんと十七歳の時、最初の交響曲を書いたそうです。そこからどんどん書き続ければよかったのですが、フランスでは交響曲って、あまり流行ってなかったそうで、彼の交響曲のキャリアは何となくうやむやに消えてしまいます。結果として一曲しか作らなかったそうです。

 私は、どういうわけか、カルメンよりも、アルルの女よりも、この交響曲のLPが欲しかったんです。というか、私の一番最初のLPが「カルメン/アルルの女」なので、二枚目を買う必要がなかったんでしょう。

 ……こちらは70年代初めかな?

 さて、私のレコードコレクションをみてみましょう。たぶん、80年代初めに買ったLPだと思われますが、

 ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団の演奏 1971年の2月に録音されたものだそうです。たぶん定価通りに買いました。中古ではありません。(日本橋のワルツ堂かな? そういうレコード屋さんがありましたね。懐かしいなあ) 

 解説にはこのように書いてあります。フランスではドイツ系の交響曲をつくる人が少なかったそうです。

 19世紀に入ると、二人の交響曲作曲家が現れた。一人はベルリオース、もう一人はフェリシアン・ダヴィッドである。……中略……ダヴィッドの古典的な系統は、ハイドン、モーツアルト風な伝統的なドイツ風な様式を中心としたもので、この傾向はルベールなどに受け継がれていったが、フランス独自の特色の乏しさゆえに次第に忘れ去られる運命になった。

 ……中略……そうした傾向を示しているもう一つの顕著な例として、このビゼーの交響曲ハ長調を挙げることができる。この曲は、1855年、ビゼーがまだパリ音楽院に在学中の17歳の時の作品である。


 そうか、そんな若いころの作品だったのかと、この年になって知り、改めて感心したわけであります。

 なお、スコアは長らくパリ音楽院の図書館に埋もれていたが、今世紀になってからフランスの評論家シャンタヴァーヌによって発見され、1935年2月にワインガルトナーがスイスのバーゼルで初演してから、現在のように知られるようになったのである。 渡辺学而さん

 私がこのレコードをいつ買ったのか、という資料は残っていませんが、たぶん80年代の初め頃ではないかと思われます。

 ビゼーさんの作品は80年間眠っていた。それが20世紀の前半によみがえり、私がLPを買った時には発見されてから50年くらいしか経っていなかった。それからあっという間に30年以上が過ぎて、今改めて見直しています(時間って、簡単に過ぎていきますね)。

 LPの再生機はあるのですが、何だかターンテーブルにLPを載せるということが、なかなか余裕が持てなくて、もう何年も機械もレコードも眠ったままです。



 そして、ふと気づきました。1855年に17歳ということは、徳川慶喜さんと同年代じゃないのと。

 確かにそうでした。慶喜さんは1837年生まれ、ビゼーさんは1838年生まれでした。だいたい同世代で、慶喜さんは大正まで生き延びます。ビゼーさんは?

 パリ音楽院で学んだ先生、ジャック・アレヴィさんの娘さんと31で結婚し、息子が生まれる。けれども、ビゼーさんは1875年、「カルメン」の初演の3か月後に37歳7か月で亡くなってしまいます。

 奥さんのジュヌヴィエーヴさんは、ロスチャイルド財閥の顧問弁護士エミール・ストロースと再婚して、花形サロンを作り上げていったそうで、それを息子の友だちのマルセル・ブルーストさんが「失われた時を求めて」に描いたとか。

 いろいろと関係がつながっていくのだと感心してしまいます。これがヨーロッパ的です。いろんな人のつながりによって芸術や文化、世界が広がっていく。

 ロスチャイルド財閥も、その顧問弁護士も、ジュヌヴィエーヴさんのお父さんも、みんなユダヤ系だったそうです。そうか、ストロースというのは……?



 2009年に亡くなったフランスの哲学者、クロード・レヴィ=ストロースという人がいたけど、どうなの? とネットで見てみると、ご両親ともにユダヤ系だそうで、「ストロース」というのは「シュトラウス」のフランス語風の読み方だそうです。

 だったら、ワルツ王のヨハン・シュトラウスはどうなるの?

 調べてみると、ヨハン・シュトラウス二世は、ユダヤ系ハンガリー人だったそうです。だったら、「シュトラウス」というのはみんなユダヤ系?

 というと、そうではないということでした。

 そして、ユダヤ系を嫌ったヒトラーさんは、ヨハン・シュトラウスさんたちは少しユダヤ系らしいけれど、彼ら一族の音楽を否定せず、愛好したということでした。

 どうなっているんだろう。それに、私は何が知りたいのか? ただユダヤ系の人のルーツを探しているだけなのか?

 いえ、何となくビゼーさんも、どちらかというと、ユダヤ系やロマの人々に対して心惹かれていたというのか、ユダヤだからどうとか、つまらない人の区別などにこだわりのない人だったのだ、というのを確認したかっただけなのです。



 お正月に見た「007 ロシアより愛をこめて」のビアンキさんも、どこの人だかわからなくなるし、作品の中に出ていたロマの人々も、ネットによればセルビアに住むロマの人々であり、セルビア語を話していたと解説している人もいました。

 世界は、いろんな人たちが交錯し、独自の言語にこだわることがアホみたいに見えてきたりします。公用語を英語にして、ずっと英語を話す、それもいいかもしれない。

 でも、私は乗り遅れています。中国語も、フランス語も、ものにならなかった。英語はどんどん忘れているし、日本語もあぶなっかしくなってきました。

 もう、とにかく、少しでも勉強し、少しでも人と会話し、少しでも音楽を聞き、少しでもまわりの人を穏やかにしていかなくては! それが何にもできない私のとりあえずの日々の目標かな。(2018.1.8)

 いろんな言語が使えて、世界を股にかける人になれたらいいなあ。カルロス・ゴーンさんみたいなのが理想的なんだけど、ゴーンさんも、経営センスはあったのかもしれないけど、何がしたかったのか、ニュースが断片的でわからないですね。(2018.11.26)


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