去年、ジンジャーを植えました。生姜を生産したいのではなくて、花を目的に植えたみたいなものです。すべてうちの奥さんのアイデアと作業のおかげです。
去年の夏は、一つだけ長く伸びた茎にお花がたくさんついて、立派なものだと感心しましたが、後から出てきた茎には花は咲かなくて、長い茎たちはそのうち倒れてしまいました。なぁんだ、花は一つだけか。みんなで咲き誇るということはありませんでした。
秋くらいに掘り出して、収穫でもしたら良かったのかもしれないけど、そのまま放置していたら、今年再び伸びてきて、次から次とそれぞれの先端に花をつけ、四本目の茎の先端の花で今年は終わりそうです。よくぞ代わりばんこに咲いてくれたものです。ずっとこの夏はジンジャーの花と一緒だったんですね。
今年も根っこをそのまま放置していたら、地面の中ででっかい生姜が生まれているのやら、生まれているというのか、大きくなっているというのか、少し見るのが怖いくらいです。オバケ生姜でもできてないかな?す。
いくつもの茎が二メートルほど伸びて、まるでサグラダファミリアの尖塔のようです。あちらはもう少し足腰がしっかりしているんだけど、うちの尖塔たちは地面に支えられていないのか、すぐに自分の重みで倒れてしまいます。
だから、もう自立する力がないもの、花が終わったものなどは途中から切り取ってしまっています。もう花が終わった三つの茎は切り取りました。
ポイッと捨てればいいけど、なるべくナマモノはすべて土に返そうという(私の変なこだわり)作戦で、コンポスト的なところに細かく切り刻んで捨てています。
そうして、これは昔、いなかのオバチャンから送られてくるフンノダコの匂いに似ているなと思ったのです!
カゴシマのオバチャンが母へ送ってくれる荷物は、いつも母への思いやりがたっぷり入っていたはずでした。私なんかは、イモとカツオブシと、だんごばかりで、どれも新聞紙にくるまれているので、もしかして何か珍しいものじゃないの? という期待は見事にはずれてしまうのでした。
オバチャンにしてみたら、サツマイモとだんごとカツオブシは、すべて鹿児島の味であり、母にカゴシマを思い起こさせる、ふるさととつながるための大事なモノたちでした。
おいもさんは、黄色いのはまだ食べられたけれど(それでも、サツマイモを喜んで食べるという習慣がなくて、なんだ、サツマイモかあ、という気持ちでした)、ムラサキいろのお芋さんは、見ただけで拒否反応を起こしたものでした。母がどんなに勧めてくれても、「イヤー」と食わず嫌いを通してしまった。
後年、沖縄に行くことがあり、ムラサキ芋はものすごくクローズアップされ、持ち上げられていて、こんなにみんなが喜ぶイモだけど、オラは小さい時に見てはいたんだ、知ってるよ、何を大騒ぎしているんだよ、なんて思ってしまった。何もわかってなかったと思うけれど、生意気にもそう思いました。
そして、だんごは、「フンノダコ」と母に教わりました。まるで見当もつかないし、だんごであるのは確かだけど、私の知っているだんごとは違うものでした。
見た目は、月桃の葉にくるまれたお餅みたいなもの。少し長くなっているので包丁で切って食べます。味付けは、砂糖をまぶしたり、きな粉をかけたり、母のアレンジはいろいろありました。でも、月桃の匂いが独特で、小さい頃は人工甘味料・着色料・香味料など、人工的なものを食べまくっていたはずなのに、自然の葉っぱにくるまれたものの匂いは越えられなかった。
結局、すべてを母が食べなきゃいけなくて、同じカゴシマ人である父も、あまり食べているようではありませんでした。
ネットで調べてみたら、「フン」というのは、「フツ」ともいい、ヨモギのことをカゴシマではそういうらしいのです。
だから、ヨモギのだんごという意味で「フンノダゴ」と呼ぶようでした。そんなことは何も知らないから、不思議な匂いのする、段ボールから飛び出てくる不思議な食べ物というところから出られなかったのです。
今だったら、食べられそうな気がするのに、もういなかのオバチャンはいないし、カゴシマでも売ってるのかどうか。もし売ってたとしても、ソフトな仕上がりになってないかな。月桃は今でも使ってるんだろうか。
その友だちみたいな、ジンジャーの茎の匂いを今さらながら嗅いで、何十年も前の小さい頃を思い出してしまった。母は今もしあれば、フンノダコを食べられるだろうか。歯が弱いから、もしかして、歯が立たないかもしれない。それは少しかわいそうな気もするな。でも、近くでは売ってないですね。