スズキナオさんは1979年生まれのフリーライターだそうで、東京生まれ大阪在住。集英社新書プラスというウェブサイトで2020年の8月から2021年の10月までの連載記事がそのまま本になったということでした。そんなウェブサイトがあるんですね。紙媒体のメディアは、ウェブから紙へつなげようとしているのか。そういう動きがあったんですね。
今の大阪は、不思議な地方都市として東京の人たちがやって来る町になりました(東京みたいなビジネスチャンスはないかもしれないけど、コツコツおもしろいネタを探していこう、というところでしょうか?)。
地元の人は、大阪で生きていきたいとは思っているけれど、何だかうまく行かないな、もっと儲かる口がどこか他のところにあるんじゃないのか、と思いつつ、どこにも行けないで、落ち着かない気持ちですべてを受け入れ、何とかしようとしている。せめて自分だけは、落ち着いてやるべきことをやり、ちゃんと生きていこうとする。
そんななかで、「それから」があったというのです。「それから」とは、2020年の3月から始まったコロナ騒ぎでした。そうした中で大阪はどう生きてきたのか、日本一の商店街の天満橋筋、万博開催予定地、石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)、西九条の居酒屋さん、道頓堀筋、今宮戎神社、花博公園、船場センタービル、四天王寺の縁日、ベトナムのアーチスト、西成のチンドン屋さん、城東区の白玉温泉、立体看板やさん、などをコツコツ取材して歩いたそうです。
どこも、コロナの影響を受け、それなりに不景気になった。けれども、みんなそれぞれ立ち上がり、今まさに生きていこうとしている。
そういうのを確認させてもらった感じです。
大阪そのものは、政治の空洞化(無駄の削減によって市民に還元する、というお話がずっと続いています。さぞかし実績は上がっているんでしょうね)によって、長期的には低迷と人々の生活の合理化が進んでいるでしょう。無駄を省いて、実りのある生活って、生活は、人間は、そんなに無駄をしてはいけないのか。だったら、極言だけど、政治家もすべて廃止したら、大阪だけは行政担当員だけにしたら、いいかもしれないな。どうだろう。
万博の予定地の大阪湾の埋め立て地ですけど、
三つの人工島はすべて、1988年に大阪市が打ち出した「テクノポート大阪」という都市構想の舞台として夢見られた場所で、巨額の予算がつぎ込まれて大型施設が建ち、インフラも整備されつつあったが、バブル崩壊のあおりもあって計画が頓挫。思い描いたように発展することはなく、大阪府民に「負の遺産」として認知されるようになった。
そういうことでした。その一発逆転策が万博とIR(カジノ施設)でしたが、これも挫折の途中ですね。
そして、予定地を眺められるビルに上がり、
今はまだ万博会場になるなんて冗談のようにしか感じられない夢洲(ゆめすを、ゆめしまと無理に読ませるのが今風ですけどね)の姿。この景色が変わっていくのを、これから何度もこの場所に来て眺めてみることにしようと思う。
という風に終わっている。特別なコメントはなくて、負の遺産は、あまりプラスにならない雰囲気を出しつつ、なんともならないままになっている。
特に、これをどうしようという提言はなくて、取材して、感想を述べている感じでまとめてありました。
いろんなことがプロデューサーもいないままに、思いつきのアイデアでポコポコ動かされている。そこに市民の声はなくて、政治が産業を生み出すのだ、政府も巻き込んでやるのだ、国からもどれだけ引き出してやろうか、そんなことばかりのような気がします。
何だか自活していないのです。そこに市民のみなさんは生きている。
大阪を出た私は、どうしたら穏やかで余裕を大事にする関西人らしさが蘇らせることができるか、そのことをいつも思うのです。