甘い生活 since2013

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ナロードニキの失敗から次へ!

2022年03月12日 21時38分13秒 | 空を見上げて

 ナロードニキ(露: народники)は、1860年代及び70年代にロシアで活動した社会運動家の総称。農民の啓蒙と革命運動への組織化により帝政を打倒し、自由な農村共同体を基礎にした新社会建設を目指した[1]。彼らの活動はナロードニキ運動(ロシア語: народничество)として知られた。ナロードとは農民に代表される一般民衆を意味し[1]、ロシア語の表現 "Хождение в народ" (Hozhdenie v narod, 「人民のもとへ」)に由来する。……ウィキペデイアから借りてきました。 


 19世紀末から20世紀初めにかけてのロシアから生まれた活動でした。そのめざすところは間違いではないと思うんだけど、結局は100年くらいかけてその実験が失敗することを私たちは学ばねばなりませんでした。

 そして、再び専制国家を同じ場所で作り上げてしまい、その国の権力者によって、今も戦争は続いています。

 そもそも「民衆の中へ」だなんて、立ち位置がまちがっています。知識人がいて、ものも言えずに黙々と働かされている底辺の人間たちがいて、お互いの接点はなかったのだけれど、その垣根を取っ払って、民衆の中に入り、民衆を教育し、指導して、善導していかなくてはならない、なんていう考え方にギャップというか、段差というか、格差なのか、そういうものがあります。

 上から目線で指導されたって、それこそ民衆というのはまとまりがないし、好き勝手にふるまうし、どちらかというと欲望まみれだし、怠け者だし、人と一緒に何かをするというのはあまり好きではない集団でした。

 それを一つにまとめようだなんて、一つにまとめるという考え方からしておかしい。

 民衆はまとまらないものなんです。勝手気ままに進んでいくものなんです。だから、強力な指導者が必要だなんて、結局そこにたどり着くようでは、徹底的に監視して、様々なデータでその裏の動きまで察知し、先回りしていくような、そんな何もかもを統制しなくてはいけなくなるではありませんか。そういう管理国家って、私たちのまわりにいくつかありますね。私たちの国もある程度そういうところを指導者たちはめざしている気もしますね。

 たとえ、ほんの何年間かはそれができたとしても、今度はその監視の目をくぐったり、監視のシステムにしばられて全てが萎縮して、全体が停滞したりしていくのは目に見えています。

 人間なんて、監視の意味もないくらいにつまらなくて、野放図で、勝手気ままで、役に立たなくて、何をしでかすのかわからない存在なのです。

 ロボットにその管理権を譲ったりしたら、SFでよくあるように、機械が人間を消し去っていく、それが合理的だということになるでしょう。

 私はそんな人間に生まれてしまって、うれしいやら、困ったやらしていますけど、とりあえずは現状承認でいくしかないもんなあ。



 ナロードニキではダメなのです。みんなが好き勝手に生きる。ただし、環境は破壊してはいけない。他人を物理的に傷つけてはいけない。それでなくても、他人の心を傷つけることは人間はたくさんしているのだから。

 できれば、強力な指導者なんていらない。そんなヤツは自分の武器を自慢し、自らの権力が永遠に続くことばかりしか考えないのだから。長期独裁なんて、気が遠くなるくらいにイヤです。コロコロ変わってもらいたい!

 権力者はわかっていない。そもそも、権力者になりたいという人たちは、独占欲とか、その他いろいろの欲望まみれなのかもしれない。それはまあ人間的ではあるんだけど、限界がないから、そういう人たちを縛るには、権力は永遠に続けてはいけない、一定期間が過ぎたら、どんなに優れた人であっても、必ず退いてもらう。

 それが正しい人の知恵でした。21世紀のロシアは、そういう当たり前の人間の知恵をないがしろにしてきたので、とうとう今日に至ってしまいました。

 時間はやがてこの混乱を解決します。権力者プーチンもいつかその座を降りなくてはなりません。それが彼の死なのか、正当な手続きなのか、誰か正しく助言できる人が出てくるのか、いつか、そうなってもらわなくてはなりません。

 プーチンがいなくなってから、ロシアはまわりの国々とも、自分の国の在り方も、いろいろと考えなくてはならないでしょう。

 それは、誰か知識人という階層の人々が作り上げるものであってはいけない。

 ロシアの二億ほどの人々(もう少し少ない?)が、みんなで選び取れるものにしていかなくてはならないと思います。

 みんながわがままで、好き勝手に自分のやりたいことをする。ただし、他人や他国は傷つけてはいけない。選挙をしても、ろくな当選者は出てこない。それでも、自らが選び、その結果を受け入れていくものにしなくてはならないと私は思います。

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