甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

Splendor in the Grass 1961

2022年03月13日 11時02分37秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 前にも『草原の輝き』のこと、書いたかもしれません。でも、今改めて書きたい気分です。だから、ネットからナタリー・ウッドさんの画像をお借りしてきました。彼女が亡くなってからもう41年が経過しています。そして、彼女の代表作の『ウエスト・サイド・ストーリー』がS・スピルバーグさんによって再映画化されています。

 だから、というわけではないけど、書くことにします。(本当は、タルコフスキーさんの映画の中の詩についてメモしておこうと思ったんですが、こちらはまた今度にします!)

 ナタリー・ウッドさんは1938年生まれで、ご両親はロシア系だったそうです。アメリカで生まれたのか、ソ連で生まれたのか、ウィキペディアではわかりませんでした。詳しく知るためには、もっと彼女の伝記を調べるしかないです。


 もう一つの借り物も、こんな感じで、「あっ、ナタリー・ウッドさんだ」というのはわかります。でも、何だかあっけらかんとしていて、そのもったいぶらないところって、彼女の魅力だったという気がしています。それなのに、存在感はあるし、歌舞伎役者の見栄みたいなメリハリも感じることができます。気取らないのにメリハリですね!

(もったいぶるというのは、エリザベス・テーラーさんとか、ジェーン・フォンダさんとか、シャーリー・マクレーンさんとか、いかにもハリウッドの代表よ、という感じの女優さんたちです。ナタリー・ウッドさんもコテコテのハリウッド女優だし、子どもさんもあとを継いでるくらいだし、女優さんなんだけど、サバサバした感じ、アメリカの女の子みたいなフィギュアスケートの選手みたいな? まあ、私の個人的な印象でしたね。失礼しました。)

 『エデンの東』(1955)ですでにナタリー・ウッドさんは、ジェームス・ディーンさんとも共演しています。『草原の輝き』も、ジェームス・ディーンさんだった印象がありますが、こちらはウォーレン・ビーティーさんでしたか。

 映画の中身は忘れてしまいました。でも、愛し合っていた二人は離れなくてはならなくて、映画の最後にワーズワースの詩が引用され、これがタイトルにもなっている。

 というんで、70年代半ば、私は岩波文庫でワーズワース詩集を買い込みました。★★だから100円だったんでしょうか。それでも奮発して買ったはずだから、意気込んでいました。

 200ページほどの本だから、あの映画の中の詩はどこにあるの? と探したはずです。でも、本の中には見つからなかった。

 仕方がないから、今ならネットから借りてこられます。

★ Splendor in the Grass/William Wordsworth

Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
of glory in the flower, 

 草原の輝き 花の栄光 再びそれは還(かえ)らずとも

we will grieve not.
Rather find strength in what remains behind.

 なげくなかれ
 その奥に秘められたる力を見い出すべし 翻訳:高瀬鎮夫(たかせしずお)


 NHKのテレビで見た時の字幕も、たぶん高瀬鎮夫さんだったはずだから、こういう内容のことばに感動したはずです。

 それが、私の手もとにある岩波文庫にはありませんでした。確認してから買えばいいのに、とにかくこれだと思って買ったようです。そして、今もボロボロになってうちにあります。ほとんど読んでないのに、歳月だけはやたら刻まれています。

 詩の細かいところは分からないけど、輝いてた時はだれがどんなに消し去ろうとしても消えないのだ、という内容なのだと思われます。それが映画の内容に合致しているから、作品も引用されていた。

 オッサンになった今、そうした輝きは消えないかもしれないけど、もう戻らないし、かすかな記憶を細々とまぼろしのように味わうくらいしかできないな、とか思ったりします。若い時に見る感じと今では違うでしょうね。長い間見てないけど。



 ナタリー・ウッドさんは、どうして1981年の11月に水の事故に遭ってしまったんだろう。まだ43歳だったのに。ロシア系のご両親はおられたはずですが、それをどう感じておられたでしょう。

 『草原の輝き』の監督さんだったエリア・カザンさんは、ギリシア系というのは知ってたけど、トルコ生まれだったというのは知らなかった。トルコで生活していたけれど、ギリシアに反発する空気があったので、ご家族でアメリカに逃れてこられ、そこで映画監督になり、いくつかの名作を作りました。でも、50年代に赤狩りの嵐が吹き荒れたハリウッドで、仲間を売り、自分だけが生き延びたということで生涯うしろ指をさされました。

 ナタリー・ウッドさんも、エリア・カザンさんも、いい仕事をしようと頑張ってた。それは移民の国のアメリカで生きていくしたたかさではありました。

 何にも知らない私は、お二人の跡を今さら見させてもらっている。今さら何をしようというのではなくて、ただこうした人たちの足跡を何度も振り返らせてもらいたいと思っています。

 

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