夏みかんの花が咲いていました。今真っ盛りでした。そうか、温州ミカンも、夏みかんも花は、今ごろ咲くんですね。知らなかった。夏みかんは、花が咲いた今ごろが収穫時というのを妻が言っていましたけど、そういう思った花付きのミカンも売っていたけど、もう待ちきれなくて、温州ミカンがいなくなったら、すぐに夏みかんを買っちゃいます。ガツガツ食べてしまう。
幸い、八朔とか、清見とか、河内晩柑とか、それはもうたくさんあるから、そんなに寂しくはなくなったけれど、最近は、温州より、イヨカンよりも、夏みかんが好きですね。
それはなぜかと言いますと、ヨーグルトのおともに最高なのです。まあ、私だけの変てこな趣味です。
昨日、今日、そんなに風は吹きませんでした。その前は少しだけ吹いてたでしょうか。とにかく、私たちのまわりに風はあれこれとついてきてくれます。
自転車をこぐのを邪魔したり、砂ぼこりを上げて北海道東部は大変だったりしました。とにかく、すぐそばに風は吹いています。
そして、風こそは、うっかり者の私たちに、時間の経過を教えてくれる存在なのだと突然気づきました。
太陽も、お月さまも、川の流れも、空を行く雲も、いろんな形で過ぎゆく時間を教えてくれます。でも、それはじっと見つめないと、気づかない存在です。
ボンヤリと見上げて、どんどん何かが吸い取られていくのを感じて、私の大切な瞬間が今過ぎていくとハッとすることもあります。これも、やはり心のエアーポケットに入った時に気づくことです。
風は、そんなことはしません。常に私たちのそばにあり、本人が気づこうが、うっかりしていようが、私たちのまわりをめぐり、何かを伝えてくれている。
時に私たちは髪が乱れると憤慨し、目にホコリが入ったと大あわてになったり、何か被害があると風に不平を言うけれど、たいていは知らんぷりです。そこにあるし、暑い時は、「ちっとも涼しい風が吹かない」と、怒ってエアコンをつけたりするんでしょう。
風を拒否して、自分たちのひねこびた風で満足するんだ。
風こそは、時間からの使者です。そこにある時、しっかりつかんで、今生かされている自分を感じて、自分の時間を生きていたい、とかなんとか、勝手に考えていい気になっていました。
おもしろいアイデアかなと思ったんだけど、セグロセキレイに笑われそうです。
「何を言ってんだか、ヨタヨタ歩いて、何をつかまえた気になっているの?」
そうですね。存在を理解しても、上手に活用できるわけではないしな。私は、私なりの過ごし方で日々を暮らすしかないわけだ。