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しばらく富士山を見ていません。それは残念です。もし余裕があれば、必死になってJRの普通を乗り継いで行ってたのに、残念ながら今は行けなくなりました。
東に行くとしても、山梨・静岡は通らずに行くから、富士山はどんなに背伸びしても見えないんでした。空高く、山の頂まで行けば見えるだろうけど、それもかないません。
富士山を扱った小説、そんなのあっただろうか。富士山は、あまりにできすぎてるし、富士山からドラマが起こるわけではないから、文学作品とは縁がなかったのかな。
探せばありそうな気もするんですが、富士山を修行の場として選んだお坊さんを描いた新田次郎さんの小説とか、富士山の気象レーダーのお話とか、過酷な体験を取り上げることになるんでしょうか。
富士山は、ただそこにあるだけなのに、時々は見えないし、見えないとなるととことん見えないし、そこに大きくそびえているはずなのに、それが雲で隠れているとなると、気持ちもものすごくモヤモヤになります。なかなか物語が湧いてこない気がします。いや、探せばあると思うんですけど……。
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富士山と格闘した小説家となると、もう、太宰治さんしかいないですね。
1938年の夏から秋、30歳の太宰さんは、新たなスタートを切るため、慕っている先輩の井伏鱒二さんが先に来ておられた富士山を眺めるポイントとして有名な御坂峠の茶屋に転がり込むのでした。
井伏さんはいくつだったんだろう。この年だと井伏さんは40歳で、「ジョン万次郎漂流記」で直木賞を受賞した年だったようです。太宰さんは、その2年前に麻薬中毒になり、井伏さんに病院を紹介してもらったり、あれこれお世話してもらっていたようです。危なっかしい気になる後輩だったんでしょう。
ダザイさんは、デビューは「晩年」という衝撃的な作品だったけれど、そこから一気に転落して、先輩である井伏さんに助けられ、もう一度再起しようという時だったんでしたね。
果たしてダザイさんの書きたいものは何か? どんな風に作品を読者に届けたらいいのか、人生もハチャメチャで、問題は割とよく起こしていた人だったようです。でも、何か世に問いたい気分は持っていた。それを井伏さんも感じて、何とかしてあげようと、自分がこもっている山梨の峠の茶屋に呼んであげたんでしょうか。
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これは静岡側からの冬の富士山ですけど……。
「富岳百景」というダザイさんの作品は、茶屋にこもってた翌年に出ますし、結婚も翌年にしてしまいます。山梨にいる間に、井伏さんにお見合いもさせられて、そのまま結婚にたどり着くし、作品の中にも相手のお嬢さんのことを描いているし、実にオッカナビックリなんだけど、人との関係を少しでもつなげていきたいという作者の姿勢みたいなのが感じられて、作品そのものは、読む人に癒しを与える作品でしたけど、そんな昔の作品だったんですね。
戦前に書かれ、今も読み継がれていたわけか……。
私は、「富岳百景」が入った新潮文庫は買いませんでした。それなのに、家にあるのは、うちの奥さんが東京にいる時に読書しかすることがなくて、いろいろと本を読んだそうで、その時に買った本みたいです。
私はずっと敬遠してたダサイさんを解禁したのは、1982年に初めて青森まで行って、岩木山にも登って、彼女のふるさとにも行って、東北に親しみを初めて感じて、「津軽」を読もうと思って、ここから少しずつ接近していったんでしたか。
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そんなつまんない講釈はいいから、どうして突然の富士山とダザイオサムなんだよ!
というと、「富岳百景」の中に出てくる峠の茶屋の娘さん、その人は実在していて、お名前が古屋たかのさんといい、先月の21日、100歳で亡くなったそうです。その人とダザイさんの関係をまとめた記事が、9月2日の夕刊に出てたから、「あらまあ、ずっとダザイさんとの記憶を大事に今に至るまで守り続け、語り続けした人がいたのだ」と驚いて、無理やりに富士山とダザイさんを書きました。
私は、1983年頃からダザイさんが好きになれて、しばらくはあれこれ読んでみました。でも、最近はずっと忘れていましたし、近づこうともしていなかった。
富士山のこととか、ダザイさんのこととか、津軽とか、メロスとか、そういう世界に遊んでいたら、いつかコロナもなくなって、富士山に遊びに行ける時がやってくるはずです。
それまではしばらく辛抱して、本でも読んでようかな。遊びに行きたいから。