
またボルヘスです。これは読んでも、読んでもわからなくて、ちっとも進みません。たったの11ページしかないお話なのに、内容がイマイチ理解できません。不思議な作品というのか、悔しい作品です。
冒頭のところを打ち込んでみます。
ひとが死んだときには、だれもが抱く思いをわたしも持った。いまとなっては無益だが、もっとやさしくしておけばよかったという悔いである。
人間は、おたがい、死者と語らう死者なのだということをつい忘れる。
私の専攻(テスサス州立大学に通っているという設定です)は哲学だった。
そこで、ブエノスアイレスのはずれのロマス近くの彼(伯父)の家、「カーサ・コロラーダ」で、固有名詞をただひとつもあげずに、哲学の美しい錯綜(さくそう)をはじめて明かしてくれたのが、あの伯父だったことを思い出した。
食後の一個のオレンジが、バークリーの観念論の手ほどきの道具となった。
チェス盤があれば、エレア学派のパラドックスを説明するに十分だった。
冒頭で、伯父さんが亡くなり、その思い出が少しだけ語られます。この伯父さんがこだわって建てた家が、すぐに売りに出され、とある男がこの家を買い、変てこな改築をした後、誰もそこを訪れる人はいなくなるし、買った人その人も姿をくらました、というのか、全く誰も目撃しないありさまでした。
私は、この伯父さんの家がどうなったのか、今、誰が住んでいるのか、思い出の場所はどうなったか、それを帰国して探る、そして、とうとう家の中にたどり着く、そういうお話なんです。
あやしい雰囲気はあるんですけど、何を見たのか、その家はどうなっているのか、それがわからない。
私の理解力の足りなさ、なんでしょうね。だったら、いくら読んでもダメじゃないですか。
でも、せっかく出会った本だから、最後まで行こうとは思っています。
最後、どうなるんでしたっけ。おうちの中に入ったのは確かです。

その夜わたしが見ることのできたさまざまな無意味な形のなかで、人間の姿形に照応するもの、あるいは、およそ、その用途の思い浮かぶものは皆無である。わたしは不快感と戦慄に襲われた。
一隅に、階上へ通ずる梯子(はしご)を発見した。十段もない鉄の桟の間隔は、広くて不ぞろいである。ただ、手と足を当然の前提とする梯子は、把握することができるから、ある意味でわたしをほっとさせた。
電灯を消して、しばらく、闇のなかでわたしは待った。
なんの物音もしない。だが、数々の得体の知れぬものの存在が、わたしの気持ちをかき乱した。ついに、わたしは決心した。
1階には、誰もいない感じだし、2階を見てみようと思ったわけですね。わたしは何を見たんでしょう。2階にはなにがあるんでしょう。よくわからないのです。
そして、ふたたび1階に降りるときです。
わたしの足が、梯子の下から二段目にかかった時、何かのしかかるような、そして緩やかで、複数のものが、斜面を昇ってくる気配を感じた。
好奇心が恐怖心にうちかち、わたしは両眼を閉じなかった。
何が昇ってきたんでしょう。のしかかったものは何?
よくわからないのです。つまらないこと、たいした事件でもないことを何かがありそうに書いてあるのか、何なんだろう。
というわけで、よくわからないから、また続きを読むんですね。すぐに寝てしまうけど、せいぜい頑張って読むことにします。
