甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

人智の思い及ばぬこと(ボルヘス)

2019年02月10日 06時42分48秒 | 本と文学と人と

 またボルヘスです。これは読んでも、読んでもわからなくて、ちっとも進みません。たったの11ページしかないお話なのに、内容がイマイチ理解できません。不思議な作品というのか、悔しい作品です。

 冒頭のところを打ち込んでみます。

 ひとが死んだときには、だれもが抱く思いをわたしも持った。いまとなっては無益だが、もっとやさしくしておけばよかったという悔いである。

 人間は、おたがい、死者と語らう死者なのだということをつい忘れる。

 私の専攻(テスサス州立大学に通っているという設定です)は哲学だった。

 そこで、ブエノスアイレスのはずれのロマス近くの彼(伯父)の家、「カーサ・コロラーダ」で、固有名詞をただひとつもあげずに、哲学の美しい錯綜(さくそう)をはじめて明かしてくれたのが、あの伯父だったことを思い出した。

 食後の一個のオレンジが、バークリーの観念論の手ほどきの道具となった。

 チェス盤があれば、エレア学派のパラドックスを説明するに十分だった。


 冒頭で、伯父さんが亡くなり、その思い出が少しだけ語られます。この伯父さんがこだわって建てた家が、すぐに売りに出され、とある男がこの家を買い、変てこな改築をした後、誰もそこを訪れる人はいなくなるし、買った人その人も姿をくらました、というのか、全く誰も目撃しないありさまでした。

 私は、この伯父さんの家がどうなったのか、今、誰が住んでいるのか、思い出の場所はどうなったか、それを帰国して探る、そして、とうとう家の中にたどり着く、そういうお話なんです。

 あやしい雰囲気はあるんですけど、何を見たのか、その家はどうなっているのか、それがわからない。

 私の理解力の足りなさ、なんでしょうね。だったら、いくら読んでもダメじゃないですか。

 でも、せっかく出会った本だから、最後まで行こうとは思っています。

 最後、どうなるんでしたっけ。おうちの中に入ったのは確かです。




 その夜わたしが見ることのできたさまざまな無意味な形のなかで、人間の姿形に照応するもの、あるいは、およそ、その用途の思い浮かぶものは皆無である。わたしは不快感と戦慄に襲われた。

 一隅に、階上へ通ずる梯子(はしご)を発見した。十段もない鉄の桟の間隔は、広くて不ぞろいである。ただ、手と足を当然の前提とする梯子は、把握することができるから、ある意味でわたしをほっとさせた。

 電灯を消して、しばらく、闇のなかでわたしは待った。

 なんの物音もしない。だが、数々の得体の知れぬものの存在が、わたしの気持ちをかき乱した。ついに、わたしは決心した。


 1階には、誰もいない感じだし、2階を見てみようと思ったわけですね。わたしは何を見たんでしょう。2階にはなにがあるんでしょう。よくわからないのです。

 そして、ふたたび1階に降りるときです。

 わたしの足が、梯子の下から二段目にかかった時、何かのしかかるような、そして緩やかで、複数のものが、斜面を昇ってくる気配を感じた。

 好奇心が恐怖心にうちかち、わたしは両眼を閉じなかった。


 何が昇ってきたんでしょう。のしかかったものは何?

 よくわからないのです。つまらないこと、たいした事件でもないことを何かがありそうに書いてあるのか、何なんだろう。

 というわけで、よくわからないから、また続きを読むんですね。すぐに寝てしまうけど、せいぜい頑張って読むことにします。




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