うちにはビワの地植えしたのが五つ、鉢植えが六つあります。全部タネを庭に放り投げて芽が出てきたものです。小さいのやら、数十センチになったのなど、いろいろありますけど、いったいいつになったら実ができるのやら、できないのやら……。
そう言えば、これまた放り出し芽がそのまま伸びたアボカドがありますけど、ミノムシをつけたまま冬を過ぎて、今は軒下ですけど、この夏には屋根を通り越すかもしれない。クスノキ科というから、どこかで成長点を止めなきゃと思います。屋根を越したら、家の土台までムクムクしますよね。狭い土地なんだから、そんなに何もかも野放しにはできないな。
アボカドは三年くらい? ビワの木は、やはりそれくらいかな? ひょっとして長崎のブランドの茂木ビワの子どもたちもいるでしょうか。どれくらい大きくなるんだろう。
実は私は、巨大なビワの木を知っていました。大阪の実家のとなりのとなり、お坊さんの家でした。表札は何とか院という名前がついてて、まさか、名字がそれなわけはないから、お寺を標榜しているんだろうけど、お仕事にも出かけていたけれど、そこのビワの木が巨大だったのを見あげていました。
あまりに巨大すぎて、電線を押し上げ、ビワはなり放題で、ヒヨドリが初夏なのにわざわざ出張してきて食べてたりしました。野鳥天国だったのです、そこだけ。
いつしかそのお坊さんは出世したのか、お寺を持つことができて、ビワのおうちは空き家になりました。住む人が新しくなればいいのに、放置されたままで、ビワも、もう一本並んで立ってる木と一緒に狭い空間にニョキニョキ伸びていきました。食べごろのビワは、見えるけれども、空高く実っていて、イタズラで食べようと思ったとしても、手が届きませんでした。
落葉と、たまに落ちて来る実の掃除で、母はウンザリしつつも、誰も世話する人がないので、仕方なく掃除を続けました。そして、「自分の宅地内にビワとイチヂクは植えるものではない」と気がつくたびに、教訓を垂れたりしました。
近所の人が、このままでは倒れた時に危険だからと、市の人に訴え、二本の巨木はなくなってしまいました。太陽光線をさえぎってくれていた木でもあったので、実家は日が差して明るくなりましたが、太陽光線が嫌いで、家のいたるところに黒いカーテンをつけている母は、ゲッソリです。
どうして太陽光線が嫌いかというと、家が焼ける、家具が焼けるという、一応もっともな話ですが、古い家なのだから、焼けるも何もないだろうと息子は思うのですが、ドラキュラのように日を避けて母は生きています。
昔お勤めしてたところにも、大きなビワの木がありました。私も一度だけそのビワを収穫させてもらったことがあります。そのタネから生えてきた子どももうちにはいるのかもしれないけど、とにかく、どのタネから育ってきたのか、イマイチわかっていません。うちの庭は、私どもの放り出した種から大きくなった植物(そういうのは割とたくましいかな?)と、トリたちが植えていった柑橘系・センリョウ・マンリョウ・ナンテンなど、実のなる木が多いような気がします。
でも、なかなか実にまではたどり着けません。のん気にやって行くしかありません。
お勤め先のビワは、台風の時に倒れてしまいましたっけ。あんなに私たちを楽しませてくれた木だったのに、大きくなり過ぎたら、倒れてしまうこともあるようです。
実をいただくのであれば、私たちからかけ離れた大きさになると、私たちはどうにもできなくなるようです。
だから、カキの木だって、収穫用のカキの木は、背を抑えられ、枝だけ広く四方に伸びるように仕立てられています。まあ、そんなものだと思っていましたけど、近ごろ、そのカキの木だって手入れをされてない畑があって、そうすると自然はどんどん上に伸びて行こうとしているようです。そして、大きくなり過ぎたら、やがては倒れてしまう。
手入れされているカキの木は、冬の間は白い木肌が目立って、たくさんの白い人が手を広げて立っているように見えるのに、放置されたカキ畑は、雑草が生え、全体が黒く見えます。どうしてなんだろう。不思議ですが、人がいなくなると自然は黒くなる!
でも、放置さえ許されなくて、カキ畑がソーラーバネルになることの方が多いようです。
自然は、たくさんの恵みを与えてくれているけれど、うまく関係ができている時、それは自然ではなくなるけど、ほどよい関係で、それを近年「里山」と呼んで尊んできたわけですが、それも危なくなっています。
太陽でビジネスをねらう人たちによって、里山は破壊され、自然とは言えない無機質なパネルだけがフェンスに覆われて広がることでしょう。
そこで作られるたくさんの電気は、ちゃんと使われているのか、不安です。見えないものですから。