甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

勢和のあじさい祭り with my mother

2014年06月08日 18時29分27秒 | 三重・熊野さんぽ

★ みょうがたけ おつにすましたお客さん

 母は帰っていきました。母とは、土曜日に多気町・勢和のあじさい祭の会場に行きました。本番が日曜なので、この日はごったがえすようなことはなく、あじさいの咲いているみどりの中を歩くことができました。



 多気町(旧勢和村)のふれあいの館は丹生大師の前にあります。そこにクルマを止めて、母と奥さんと私の3人で会場に向かいました。入り口のところに、麦はピーンと立っていて、きれいな小麦色です。この小麦色というのは、不思議な色で、まわりはものすごい緑なのに、小麦畑だけが黄色とも、茶色とも言えない、小麦色の大地になってしまうのです。もしその近くを歩くことができたら、足を止めてそこに吹く風やら、そこに降り注ぐ日射しやら、乾いたあたたかい香りをかいだり、いろいろ楽しめたりします。私はおっちょこちょいなので、写真を撮るばかり。太陽さんが光線を加減してくれないかぎり、いつも同じような写真を撮ることでしょう。すべて太陽頼みの写真です。自分で太陽を利用できるくらい写真も極めたらいいんですけどね……。

 そういえば、昨日今日、多気町だけでなく、松阪市も、津市も、刈り取りの場面を何度か見ることができたので、この土日はものすごく麦の秋だったんですね。


 
★ 麦の秋 すべては母のおごりかな   
 
……申し訳ないです。というか、私はお金出そうと思っているのに、この日の母は気前よかった!

 中高年の人たちが、思い思いにあじさいを見て、水路ぎわを歩きます。ここの水路を切り開いた人は西村彦左衛門為秋という人だそうです。そうした先人がいて、豊かな農村の勢和村というのが、十年前くらいまではありました。田畑だけではなくあぜ道もしっかり整備している地域なので、9月中旬にはキレイな彼岸花がたくさん出てきます。だから、折角の彼岸花を写真に撮ろうと、そのころになると、いつも奥さんを連れて勢和村に行きました。また、今年も行くでしょうけど、そこが多気町に合併され、あれこれと多気町のペースであれこれ工事とかされているみたいです。今の町長さんはそうした工事に熱心な人というふうにウワサで聞いたこともあります。でも真偽はわかりません。とにかく、今もキレイな農村なので、私のお気に入りの田舎です。家でも借りて農業したいくらいです。理想かな? 思っているだけかも……。



  色とりどりのあじさいたち。白や青・紫と、たまにほんのり赤、静かに流れる水路、午前中に雨が降っていたので、少し湿気もあって、水路沿いの遊歩道はぬれています。テントがたくさん立てられ、明日のイベントの参加者・団体の名前と企画が書いてあります。

 普通ならザンネンということになりますが、ウチの家族は、イベント・露店や出し物にはあまり不熱心で、適当にしか参加しないので、テントが並べられているのを見るだけで十分で、ちゃんとプレお祭り気分に浸ることができました。祭りの前の静けさを味わい、いい感じになりました。

 あじさいの遊歩道の最後の方で、水路に舟を浮かべて流れる体験ができるところの下船場に小さなヘビがいました。ここで母は大興奮して、「気持ち悪い」を連発していました。かわいいヘビさんだったので、そんなに毛嫌いしなくてもいいのにと私は思いましたが、もう母の気が済むまで「気持ち悪い」を言わせてあげることにして、私はあれこれと聞いてあげました。



★ とんがりのアジサイと花知識の妻 



 ふれあいの館にもどり、いつもの仏像さんを見上げました。すると、どういうわけか、お顔だけがツルツルで、お体はコケだらけです。「不思議だな。以前は顔だけということはなく、全身がそれなりの古びた感じではなかったかな」と、それでは近くに寄ってみようと、初めて仏像さまの近くに上がってみました。その前に不思議な狛犬さんがいました。



★ 万緑や 狛犬帽子かぶりをり

 そして、仏様、古いものなのか、新しいものなのか、よくは分からないものの、水銀と農業で栄えた丹生のお金持ちの人が作った仏様で、丹生大師の境内におまつりすることをせず、丹生の里を見渡してもらおうと安置したものなのかもと、勝手に想像して帰ってきました。



 お顔をこんなにツルッとされてなかったら、あえてお近くに行こうとは思わなかったでしょうけど、たまたま母と遊びに来たこの日、見つけることができたので、私1人で見に来ました。

 ★ 石仏や 空と万緑あるばかり


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