キリストさまは、おそらく死すら怖くありませんでした。
明言したわけではないだろうけれど、たぶん、死なんて恐れなかったはずです(恐れは抱いたかもしれないけど、大切なことをしなくてはという思いがあったでしょう)。
死の恐怖よりも、人々がお互いを信じられないこと、利己心や虚栄心のままに生きていくこと、そういうのは大変なことだ、そういう人々をどうしたらいいのか、そういうことを心配されてたんではないでしょうか。
肉体は死んでしまう。肉体はとても弱いし、すぐにわがままを言うし、「自分さえよければいい」と悪魔のささやきは常に人間の体内にあるものでした。
それは、とても人間的なことではあります。
でも、その人間的なだらしなさを、「これではダメだ」「私はこの体をもっと鍛えて、いろんな世界で活躍したい」と考えること、これも人間的なことです。とことんだらしないと、それに抗おうとすること、その相克が人間というものなのかもしれません。どっちも人間的なんです。
キリストさまの時代の人々は死は怖かったでしょう。理解できないし、どうにかしてこの命の終わりというものを乗り越えたいと思ったはずです。それができるのが人間なのだと思うこと、とても人間のいいことですよね。
キリストさまにすがるように人々は訊ねたことでしょう。「死とは何ですか? 私たちはどうして死ぬんですか? 死んだらどこに行くんですか?」と。
これらは永遠の問いだし、答えは今に至っても得られるものではありません。さまざまな答えは出されるでしょう。でも、たぶん、キリストさまは、
「死とは何ですか?」……わからないです。
「どうして私たちは死ぬですか?」……わからないです。
「死んだらどこに行くんですか?」……わからないです。だったかな?
誠実に答えようとしたら、いい加減なことは言えないのです。それから、死に関しては答えは出せないけれど、ちゃんとフォローとしてやさしく何か言葉をかけてあげたことでしょう。
「死とは何ですか?」……わからないです。
「どうして私たちは死ぬですか?」……わからないです。
「死んだらどこに行くんですか?」……わからないです。だったかな?
誠実に答えようとしたら、いい加減なことは言えないのです。それから、死に関しては答えは出せないけれど、ちゃんとフォローとしてやさしく何か言葉をかけてあげたことでしょう。
こんなことを訊ねたくなるには、それなりの理由があるわけで、それを解きほぐしてくれたら、答えは見つからないけれども、私たちは生きていけるわけで、そうなると、どんなふうに生きていけばいいのか、それは自分のやれるだけ生きるしかない、という答えにたどり着くはずでした。
勝手な思いだけれど、キリストさまは、そういう立ち位置にいる人じゃないかな。
そして、とことんみんなを許し、受け入れ、罪を許し、みんなが他人を傷つけずに平安に暮らせることを祈った方だったのではないかな。不思議な力があったのか、なかったのか、それはわからないけど、たまたまキリストさまの近くでは、みんなが優しい気持ちになって、不思議なことがたまたま起きたということではないんだろうか。これは私の誤解かな。
死とは何か? キリストさまに訊ねても、答えは見つからないけど、生きる希望は生まれた。それでいいじゃないですか。
孔子様もそうでしたよ。
孔子様も、「死とはわからない。知らない。何といっても、生きることすら私はわからないのだから。とにかく、生きることを知りたいし、生きている自分たちのまわりを何とかしたいんだよ」(いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らむ)ということでした。
死についてはノーコメントでした。そりゃ、生きていく時に大切な儀式というのをシステマチックにして、そういうことをしっかりやることで、生も死も乗り越えていこうとされた先生ですので、ちゃんとお弔いをすることはされた人だと思います。でも、そこから死について考えようとはしなかった。
死とは圧倒的な「無」ですから、あれこれ考えても、なかなか答えは見つからない。
お釈迦さまも、インドで修行して、悟りを開いたころは、たぶん、「死」をうんぬんすることはなかったのではないでしょうか。それよりも生き方を問うておられたのではなかったかな。
仏教は起こり、インドから中国を経て日本にたどり着いた。奈良時代の日本では病気でたくさんの人たちが亡くなった。権力者でさえコロリと死んでしまうし、あまりにあっけないものであった。聖武天皇さまは、奈良の都がイヤになり、都を転々とさせて国家も自分も落ち着かせようとしたけれど、当時の心の支えは仏教で、国家の財源を使って大仏を作ることだけをひたすら行われました。
かくして東大寺は生まれ、国家を安泰にさせるための仏教は最後の切り札になった。ここでもやっぱり仏教はそんなに「死」と向き合ってなくて、現世利益ばかり求められていました。
死は私たちのすぐそばにあるものです。でも、つい忘れるものです。そして、キリストさまも、孔子さんも、お釈迦さまも、みんな身近な人の死は見つめたけれども、それをどうこうしようとはしなかった。それより、どう生きるかを考えたかったはずです。
そして、二千年以上が経過して、私たちは身近な人の死に遭遇すると、何か宗教的なものにすがって生きている。今の私たちは、目の前が真っ暗になって、ひたすら何かにすがって死を忘れ、祈りたい、そういう素直な気持ちで昔の偉い方たちにつながるものを持ってきている。
死なないということはありえないことでした。みんないつかは死ぬというのを突き付けられている。でも、この瞬間を生きていかなくてはならないし、偉い方たちを偲ぶ。
これが私たちの不死の薬かもしれません。いつかは死ぬんだけど、今は死なない。死なないためにすがる、まさしく不死の薬で、それは偉い方たちの教えであった。なあんだ、モノではなくて、ココロだったんですね。
今読んでいる明治・大正の女性革命家たち、あの人たちは生きるために革命を希求し、その途中で死んでしまったけれど、かなりキリストさま的な生き方だったんだなという気がしてきました。
一生懸命に世の中から冷たくされてる、厳しい生活を強制されている人たちの生きる道を探ろうとしたんだから、生き方として同じだったんです。いや、私だって、革命は求めてないけど、死は怖いんだけど、生きることは求めてるんだけどなあ。