1959年に出た『昭和史』遠山茂樹・今井清一・藤原彰著 岩波新書をやっと読み終えました。四十年ほどかけてやっと読み終えました。もっと早く読むつもりだったんだけど、時間がかかりました。
チビチビ読んでい、読んだそばから内容を忘れます。そんなことなら、読まなくても同じではないの? と思ったりしますが、何かにはなるのだろうと続けて、今に入りました。何か月かかけて読んだんですね。そりゃ、四十年を一気に読むなんて無理ですね。
それで、ふと思いました。1940年あたり、第2次近衛内閣ができるあたりなんですが、本当に当時の日本って、火事場泥棒的な、目先の利益を追求し、欧米諸国が浮き足立つとすぐにチャンスだと判断して、自分たちの植民地を作ろうと必死だったんだ……と。
最近の「日本史A」という教科書によりますと、これはだいたい近現代史が書かれてるようですが、近衛さんは期待されてカムバックしました(昔、そのあたりのいきさつも習ったような気がしてたんですが、まちがってたかな?)。
ナチ党やファシスト党にならった強力な指導政党を中心とする新しい政治体制をめざす「革新」運動であった。
のだそうです。政党は解散して大政翼賛会というシステムが作り上げられます。近衛さんがやる気を出して1ヶ月くらいのことだったそうです。
近衛さんは軍部と相談して、
欧州大戦不介入方針からの転換、ドイツ・イタリア・ソ連との提携強化、積極的な南方への進出(南進)の方針が定まった。南進の理由としては、ドイツに降伏したオランダの植民地であるオランダ領東インド(蘭印〈インドネシア〉)、本国がドイツに降伏していたフランス領インドシナ(仏イ〈ベトナム・ラオス・カンボジア〉)を影響下におくことのほか、援蒋ルート(蒋介石を援護する)を遮断して日中戦争に決着をつけるねらいもあった。
近衛さんの方針は、日中戦争は泥沼だけれども、蘭印・仏印ともにうまくいったようです。宗主国がいない所に割り込んで、宗主国みたいな顔をするなんて、何だか浅はかですけど、当時の日本のエラい人たちはいいアイデアだと信じていたようです。
すると、アメリカは?
航空機用ガソリンやくず鉄の対日輸出禁止の措置をとり、日本への経済制裁を本格化させた。そして、泥沼から抜け出せなくなります。
読み終えた今、私に何かヒントが見つかりましたか?
実は、何も見つからなくて、ボンヤリするだけです。
本そのものは、1958年あたりまでの記述になります。
それからも、もう六十年以上経過しています。日本は、これからどんな国になりたいのか、人々は何か話をしているでしょうか。
理想もなく、目先の利益ばかり追いかけているような気がしないでもありません。
悲観的なことは言いたくないけど、私たちそのものに未来像がないような気がします。それは、私だけのことでしょうか。
少しおもしろいことがあると、そこに群がり、その場その場をおもしろおかしく過ごせればそれでいいや、みたいな、場当たり的な生活感になっている気がします。
というのを、かなり昔に書きました。今日は9日でした。私は祈ることもせず、何となくお仕事をしていました。それなりにしたんですけど、ナガサキを思う意識がありませんでした。
友人たちは、ひそかに祈った、ちゃんと時間をはかって祈った。ということでした。何と、真面目で、キッチリしているんでしょう。
私は、今さらながらです。そして、今は、暑くてたまらない気持ちを抱えている。何やってんだか……。