祈りを捧げたい気持ちはあります。でも、祈りだけでいいんだろうか。
私は今も、居ても立っても居られない気持ちではあるんです。とはいうものの、簡単に東北の被災地に行けないし、遠くからブスッとしながらお祈りしています。素直な気持ちなんですけど、お祈りは静かにしたいんです。わざとらしいのもイヤだし……。
あの時から、どれだけ私は現地へ行くチャンスがあったんでしょう。気持ちは焦っても、あれこれ言い訳しながらすぐに行けませんでした。どうしてパッとすべてを投げだして行動しなかったのかなあ。
2013年の夏、新幹線で岩手に行かせてもらったけれど、あまりに遅かったし、予想された通り、私が現地に行っても何にもならなかった。
1992年の夏、気仙沼にも、気仙大島にも行かせてもらったことがあります。クルマで行ったんだと思いますが、ちゃんと憶えていませんでした。
大震災で気仙沼は、津波と火事と破壊でメチャクチャになっているのはテレビ画面で見ました。けれど、この世のことだとは思えなかった。どうしてこんなことになったのかとは思ったけれど、ただ押し黙るだけでした。それは総理大臣でも、どんな偉い人でもそうだったでしょうか。実際に大変なことが起こっていました。それなのに、何もできないでテレビを見て胸を痛めるだけでした。そこからずっと福島原発に気を取られて、今そこにある災難を置いてしまい、これから後に続く不幸の方が心配になったんでした。あんな大きな原発事故があったというのに、もうそんなの過去のことになってないですか?
何度か、いろんなところで撮影された津波の映像を見ました。あそこに映されている海の色の濃さ、あれはもう深い海からの波のようで、とても恐ろしいものだというのは理解できました。私の想像を超える、自然の恐ろしさに言葉を失いました。
そう、何度か太平洋の上を走るフェリーから、深い海の色というのは見たことがありました。でも、はるか沖合にある黒くて深い海が、沿岸の町を襲うなんて、それだけでゾッとする怖さがありました。
毎年、桜の季節の前に胸を痛め続けて十年が経過しました。岩手のお母さんも、私の父もいなくなってしまって、喪失を埋めようとして毎日を過ごして来たのかもしれません。
そんなの、失ったままで、嘆いてもどうにもならないことでした。でも、毎日は過ぎて、積み重なって十年の月日は過ぎました。
これからも私は、妻の生まれたふるさとに行かせてもらうでしょう。そして、タイミングが合えば、三陸海岸にも行かせてもらうと思います。
そうして、静かな気持ちになって、これからの歳月を過ごしていこう、と思うのかな……。
そこに行かせてもらったら、どんな気持ちになるのか、見当もつきません。でも、いつか行かせてもらうつもりです!
これからも、時間は着実に過ぎていくと思います。その中で私はバタバタしていることでしょう。
若い人たちや、地元の方々に触れ合えたり、私たち夫婦みたいな者でも、何かのお役に立ちたい(そんな偉そうなことは言えないかな)けど、とにかく、そこの空気を吸わせてもらうだけで、それで何かになるでしょうか。ぜひ、行かせてくださいね! 夏にでも行きたいな。