小さい頃、4月や10月、「パットン大戦車軍団」(1970)が番組編成の変わる時期に視聴率を上げるために放映しますということがありました。そう聞けば、何となく胸はときめくし、あれこれ時間を調整してぜひ見なくちゃと胸きめかせていたでしょうか。
深い内容はよくわからないし、「トラ、トラ、トラ」もそんなに好きなわけじゃありませんでした。今もちゃんと見ていません。「ミッドウェー」もそうでした。ハリウッドが作る第二次大戦映画は、全体がよく分からなくて、あまりにいろんな戦いがあり、それをテーマに失敗したり、成功したり、いろいろするのだけれど、わからないなりに興味だけがありました。
でも、たいてい長いし、2週に分けて放映しますとか聞かされて、2週続けてみるのも大変だっただろうし、挫折もしたのかなあ?
小さい頃は、何となく好戦的な部分も持っていたようです。「西部戦線異状なし」も、レマルクの本を読みたい! 映画も見たい! とか思ってたけど、これらもとうとう見られなかったし、何ごとも中途半端な私でした。
でも、今までに、「パットン」は2回ほど見たでしょうか。どちらもテレビで見ました。大きくなってから、映画館で戦争映画を見たら、たいていはベトナム戦争を取り上げるものになり(70年代後半から)、少しずつ厭戦的な気分をもらえて、すっかり戦争反対派になることができたと思います。
まあ、私みたいな甘っちょろいヤツが戦争反対を思っても、何にもなりませんけど、とにかく、私は戦争嫌いにはなりました。
あんなに憧れた「パットン大戦車軍団」も、よく見てみたら、冒頭から教訓的というのか、将軍はあまり取り付く島のないキャラクターでした。こんなにストイックで、無表情で、シニカルで、しかも強情で頑固、いかにも軍人畑を歩いてきたコテコテの軍人という雰囲気です。
巨大な星条旗の下で、パットンさんが訓辞を垂れるわけですが、よくわからないけれど、とにかく強引な感じ。変な堅物軍人の映画が始まる、と私たちをパットンさんの世界へ連れて行くのです。
映画は、ほとんど戦闘シーンの記憶がなくて、宿敵のドイツのロンメル将軍を破った戦いも、そんなシーンがあったのか、カットされたのか、見た感じがありませんでした。まあ、映画の中でドンパチされたって、見る方はよくわからなかったんでしょうか。
かくして、パットンはシチリアから、イタリア半島を駆け上っていきますし、イギリス軍が先に行こうとしたりするのは許せないらしい。まるで戦国武将のように、「我こそは戦場で一番乗りをするのだ」みたいな、時代錯誤の雰囲気でした。考えてみると、少し怖いのです。いつだって軍人さんは暴走するし、軍隊って、そういう目先だけの功名にひた走るものだという印象でした。(中国に侵略した日本軍が、国内でどんなに制止しても、勝手に戦争を拡大していったように、出先機関というのは、少し怖いところがあるもので、振り切ってしまうもののようです)
どんどん一番駆け、いち早くドイツまで攻めあがるという、その自らの手柄第一の気持ちは先鋭化されていきます。あまりに暴走するので、上層部はその攻撃力は認めるものの、他との協調性やら、陸軍だけではない総合的な戦略を無視されそうになるし、パットン将軍を更迭してしまいます。いくら軍人として優秀でも、戦争全体の展望がないから、目先の利益に走ってしまうのが怖かったのかもしれないのです。
軍人は、その目的のために、自らの功績と名誉を獲得するために、協調精神をなくすものなのだという怖さを見る者に与えてくれていた、ただ単に戦争万歳の映画ではなかったのだ、というのを感じましたが、小さい時には、やたら戦車がたくさん出てくる戦争映画だな、くらいの印象しか持てなかったはずです。
マッカーサー将軍が、占領した日本にやって来ました。彼は、厚木に到着して、そこから街道を警備する日本の兵士たちを見て、日本の天皇にも会見し、人としての日本人を感じる機会があったそうです。そうした感性を持ち、軍事的な統治をする能力も持てたはずでした。でも、その彼も、朝鮮戦争が始まれば、また軍人精神が復活して、「こうなれば、原子爆弾をどんどん使うしかない」と公言してしまう。かくして、上層部はコントロール不能になる前に、マッカーサーさんを更迭してしまう。
パットンさんも、マッカーサーさんも、人としての感性を持ち、人を敬う気持ちも持っていたはずです。でも、軍人魂にスイッチが入れば、目的のためには手段を選ばない、常軌を逸することも平気でできてしまうところもあった。
だから、二人とも更迭されてからは、軍人として生きられなかったように思います。張りを失ったようにすぐに亡くなってしまいます。
ひるがえって、プーチンさんは、軍人ではありませんでした。人々を管理し、情報操作し、敵対者を抹殺し、自らの権力を最大限に保持するための組織のKGBからのし上がってきた人でした。
軍人的な、暴走する怖さはありません。でも、あまりに権力を守る気持ちが強くて、他に侵略する(攻撃は最大の防御)ということはあり得ます。そうすることで、逆に自らの地歩は外では崩れていくのに、国内の強大な足場のために、彼は友好国でもあったウクライナを切り取る動きに出ました。
「いっそのこと、首都キエフまで進撃してしまえ」と命令を出すのは簡単です。彼は、ただ命じるだけです。自ら足を運んで切り取るわけではありません。独裁者ですから、命じるだけです。命令を守れるものを褒め、命令を守れないものは処罰するだけです。
彼は何を求めているんだろう。自ら権力の拡大と自らが死ぬまでの権力維持を望んでいるんでしょうけど、長期的には、今回の行動が彼の弱さ・もろさを示すものだという気がするんだけど、それは私の気のせいかな。
内側を安定させるのではなくて、攻撃することで自らを守っているだけ、という気がします。だから、逆に危なくなっている気がするんです。あと十年政権を維持できるのかどうか、彼がちゃんとした判断能力を失くしたら、それをまわりの人たちはちゃんと止められないだろうし(彼のまわりはイエスマンしかいないと思います。そういうのをかき集めて長期独裁政権を作ってきたんですから)、何だかとても恐ろしい気がします。