「映画監督・森崎東 追憶の風景 香良州海岸(津市)」というタイトルで三重県の記事が出ていました。あわててアサヒのHPを見て、そこのところをコピーして、いつか機会があればと紹介しようと思っていました。
ちかごろgooさんから毎日のようにメールが来て、あなたが1年前に書いた記事に思い出を書きましょうと、いやがらせのような感じできます。最初のうちは、まだ1年しか経っていないので、せいぜいがんばれと励ましのメールなのかと見ていましたが、どうやらそうではなくて、どんどん深入りさせて、月々500円の使用料金を取ろうという作戦ですね。
少しだけイヤになりましたが、こうして利用させてもらっているのはありがたいことなので、喜んで500円払ってもいいんですけど、せいぜいタダで好きなことをやらせてくれないかなと、できれば放っておいてくださればなあと、思ったことでした。
でも、今度は無視されると、「何だ! ネコの写真ばかりクローズアップしやがって!」と、変にゴネたりしてしまいそうだし、とにかく中高年の私には現状維持で好きなことをやらせてもらえることがシアワセです。若い人はすべて刷新するというのが好きかもしれないですけど……。
グダグタ言い訳しないで、2010年9月28日の朝日新聞を見てみましょう!
追憶の風景という言葉で思い出すのは、三重県香良洲(からす)町(現・津市香良洲町)の香良洲海岸です。終戦翌日の1945年8月16日、海軍航空隊に入隊して少尉候補生だった私の兄・森崎湊(みなと)が、その海岸の松林の一角で割腹自決(かっぷくじけつ)しました。21歳でした。
戦時中、隊員らが余暇を過ごすクラブのようなものがあったようです。兄は海岸近くの農家へおじゃましては、ごちそうになったり、家の子どもと遊んだりしていたようです。
私が(香良洲町へ)初めて訪れたのは、今から二十数年前のことでした。その農家の婦人に、割腹の現場へ案内して頂きました。伊勢湾台風の影響でねじれた松林、航空隊の赤れんがの建物群。荒涼とした光景の中で、終戦詔勅(しゅうせんしょうちょく)が伝えられた8月15日の航空隊内は不穏な空気に包まれていた、と聞きました。
「森崎さんは上官に対して非常に怒っていました。自殺をなさる予感がしました」
婦人の一言は今でも私の耳に残っています。3歳違いの兄は、人が死ぬことを嫌う人でした。自分が死ぬことで他に犠牲者を出さないようにしたのではないか、と思います。
両親にあてた遺書に兄はこうつづっていました。「私は生きて降伏する事は出来ません。私が生長(いきなが)らへてゐたら必ず何か策動(さくどう……クーデターのこと)などして、恐れ乍(なが)ら和平の大詔に背き奉り、君には不忠、親には不孝と相成る事(こと)目に見えるやうであります」
この遺書を含め、兄が残した日記は『遺書』という本にまとめられています。私はその本をテーマに、映画「黒木太郎の愛と冒険」(77年)を撮りました。その後に海岸を訪れ、婦人の話を聞いて、日本の指導層への絶望こそが兄の自決の真の理由だったと思われてなりませんでした。今思えば、あの映画は青春映画に過ぎません。
このあと、森崎さんが作った映画と戦争のことなどが語られています。
私は、三重県限定でスイッチが入るので、その後、森崎さんがどんな映画を撮ったのか、残念ながらあまり知りません。この人とは相性が悪くて、いくつか見た映画は「ああ、やっぱりこの人が監督してたのか」と、少しガッカリすることが多かったので、もう何十年も見ていません。森崎さんの寅さん映画なら見ているかもしれませんが、あまり強い印象はありませんでした。
けれども、こうして森崎さんはお兄さんの思いをたどることによって、それも二十数年たってやっと、お兄さんの生きていた姿を、得意の喜劇というスタイルで描こうとしたというのは、なんとなく興味をひかれます。それくらいの歳月を経過して撮れる映画って、あるのかもしれません。いや、どんな道でも、ものすごく歳月を要することがあるのでしょう。私たちが気づかないだけですね。
一度切り捨てていた監督さんですけど、ふたたび見てみたい気持ちが起こったのは、この香良洲と森崎さんの関係を知ったからです。いつかチャンスがあったら、もっと気合いを入れて見てみたいです。
ということで、1年前の1月31日に「三重の文学」ということで、色川大吉先生の「わだつみの友へ」というのを紹介しています。
色川先生はご自身が特攻隊の訓練を、この香良洲の浜で受けていたので、当時よく乗った軽便鉄道のことを書いておられました。それが今、すべてが帳消しにされて、少しだけ当時を偲ぶものはあるのですが、すべてが変わってしまって、ショックを受けたというのを書いておられました。
現在の三重県の香良洲町(数年前に津市に編入させられました)は特に何もない、中州にできた海型農村で、とても静かなところではあります。けれども、確かにそこでいつ出撃するのかわからぬままの不安の日々を送っていた兵士たちがいたことは確かなのです。
今度こそ、心して香良洲町へ行ってみたいと思います。
★ 実は、友人が香良洲町に住んでいます。よりによって、どうしてこんな海辺に住んでいるの? 津波が来たらひとたまりもないし、駅からは遠いし、完全に島なので、ここに入る橋は2つくらいしかないというのに、どうしてこんな不便なところ? と、私は思いますが、友人はかなり気に入っているようで、ここに20年近く住んでいます。
でも、彼も近々結婚するそうで、田舎暮らしもいっぺんに楽しくなるでしょうか。やはり、新婚さんというのは、それはそれは夢がありますね。私は30年の古婚さんですね。まあ、せいぜい先輩面してみせましょう。要は年数ではなくて、どれだけ愛せるかですからね。さて、私、どれだけ愛せているのやら……。