甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

歳月はそこにあった! 中学の同窓会にて

2019年10月17日 21時21分08秒 | 中学生までのこと

 先日、中学校の同窓会に出てきました。16時から19時までの3時間、宴会場でほんの少ししか食べず、ビールだけはつがれるままに飲んでいました。

 まあ、だれも私についでやろうという人はいないから、そんなに酔わずにスイスイと帰ってくることができました。

 帰ってみると、「お酒飲んだね」と家族に言われるくらいに、お酒の匂いというのか、酔っ払いの匂いをさせていたようです。そんなに飲まなかったのに!

 ああ、昔、みっともない酔っ払いだけにはなりたくないと思ったものでした。けれども、何度も何度もみっともないヨッパライになってきました、恐ろしいくらいに。ただ、先日は軽い酔っ払いだったと思いたいです。

 3時間、何をしていたんでしょう。



 左隣の席は、女の子でした。もちろん同級生だから、オバチャンではあります。1年生の時にカゴシマから転校してきた子だったので、よく憶えていて、彼女がやってきた町もちゃんと言えました。さすが、昔の記憶はクリアーじゃないですか!

 彼女の隣は男の子で、彼も1年生の時のクラスメートでした。それなりにオッチャンになっていました。最初は、二人は同じクラスだったから、仲良く話をしているものだと私は思っていました。

 しばらくして、あれこれ話すうちに、あれ? と思い、まわりのみんなが二人を夫婦として話しているではないですか! 名札を見てみたら、なんと同姓になっていました。

 かなり時間が経ってからそのことに気づいた私は、「いつからつきあってたの?」と、遅まきながら質問して、高校になってから付き合いだしたのだ、というのを教えてもらいました。また、彼女が中学2年の頃しばらく入院して、復帰したのは3年になってからというのも聞かされて、全くそんなこととは知らず、一度は同じクラスになった子の、中学校の時の事情も知らなかった。そして、四十数年ぶりの同席でした。何ということだ!

 まあ、その程度のいい加減な私ですね、昔も今も。400人の同級生がいて、みんなが敵ないしは蹴落とす存在として意識されていたんでしょう。当時の感覚としては、この人たちから成績で頭一つでも抜け出して、エリートコースに行きたいとか、野望みたいなのがあったでしょうね。今思うと、つまらない使命感というのか、ガリガリ亡者になってたんですね。

 ご夫婦からはあまりお仕事のことは聞かないで、お孫さんのこととか、当たり障りのないことをみんな話しています。まあ、何十年ぶりだし、何もかもぶちまける必要はないですもんね。表面的なことでいいわけだ。

 なんだか、同級生夫婦が他にもいくつかあるみたいで、話を聞いていく中ではいくつかのカップルが参加していたようです。中学や高校の時にパートナーを見つけて、そのまま人生を一緒に過ごすなんて、素敵なことじゃないですか! 私なんて、どんなに大きくサバを読んでも40年くらい(奥さんと付き合ってです。年数ではないです。一瞬でも深く愛せたらいいわけだ。でも、やはり長く愛するというのも大事ですよね)にしかなりません。まだまだ未熟者です。

 同窓会に、会いたい人はいませんでした。何となく気分で参加しました。何年か前に開かれた同窓会には仕事関係で行けなくて、そこに出席されていた恩師の先生がしばらくしてから亡くなられ、娘さんからお手紙を頂いたりしたのでした。

 そうでした。行けないお詫びに、こちらで自作した冊子をお送りしたんでしたね。その時に乗り遅れた分を取り戻そうという気分があったのでしょう。だから、参加したのです。



 目的はないけど、とりあえず参加した。来てみたら、みんな年を取っていた。名前を見てもほとんどの人が思い出せない人ばかりだった。小学校が同じだった子はかろうじて思い出せるのに、私は小学校時代はスカートめくりしかした憶えがない、とんでもないクソガキ・アホガキだったので、小学校時代の女の子からは声をかけてもらえず、何だか淋しいなあと、改めて自分のとんでもなさを思い知らされてはいたのでした。

 さあ、困りました。右に座っている男の子と話すしかありません。彼はガンガン飲むし、相当いける口みたいでした。私も、それなりに話をしますが、込み入ったことは話しません。

 何人かの男の子は、私のところに来てくれて、今どうしているのか? お互い憶えているか、というのを確かめに来てくれました。でも、あんまり憶えていなかった。

 ただ、われらが同級生の中で、甲子園に行った人が一人いて、彼と便所で会ったときは、ツルピカのオッサンだなと思うだけでしたが、名前を見たら、面影はあるし、彼の勇姿を応援もしたし、切れ味鋭いバッターだったというのも、一度に思い出しました。彼は、野球指導者ではなくて、米屋のオヤジになっているということでした。

 みんな、いろんな人生がありますね。他には何かなかったでしょうか。

 思い出してみます。また、明日!

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