昔から、「かわいいな」と思った女の子に、何度も裏切られてきました。すぐにその子は「はすっぱな世界」に飛んで行ってしまって、私なんか彼女の足元にもいられません。どんどん、どんどん知らない遠い世界に行ってしまうことばかりでした。
現実の女の子もそうだし、子どもが普通にあこがれる芸能界の女の人だって、私がいいなと思ったら最後、すぐにその人たちは「はすっぱの世界」にトリップするんです、どういうわけか。
私はそれを指をくわえてみているだけで、どうにもできなかった。
または、全然見当違いの女の子が好きになり、トンチンカンなことをしでかしたりもする。相手の女の子としては、「何だよ、急なこの変化は!」とびっくりするというのか、話にならないというのか、そんなところだったでしょう。昔も今もカン違いばかりしているのです。
そもそも、好きというのは何なんでしょう。好きという感情は、中学の頃は、とにかく「付き合っている」という充足感が欲しかったみたいです。ただの見栄かも知れない、本人は真剣に愛だと思っていたとしても。その先というのが全く見えてなかったし、何が望みだったのか。いや、ただ「恋に恋して」いたというのかな。
とにかく、「女の子と付き合う」というのは、とりあえずデートをしたり、一緒におしゃべりしたりするものだと思っていた。
中1の頃は、そんな人もいないから、「付き合う」=「チョコレートをもらう」+「人に見せびらかす」くらいの計算しかできなかった。全く恋愛をする資格を持たないショボクレ野郎でした。恋愛とは、物語の世界にあるもので、私の現実にはなかった。他人にはあっただろうけど、私には関係がありませんでした。
中1の2月だけ、瞬間的に沸騰してチョコレートを3人の女の子がくれる、という話もありましたが、結局もらったのは1つだけで、私にチョコレートをくれたその女の子(生涯に2人だけしかもらっていないのです)は2年生になったら、「はすっぱな女」になったというウワサがあって、まるで話しをすることもなかったその子とは、私が「まじめになりましょう」という手紙を書いたら、終わってしまいました。何ということだ!
その子と会えたら、話をしたのかなあ。たぶん、しなかったでしょうね。
先日の中学の同窓会の話です。
その子は来ていませんでした。ザンネンでした。というのか、会えたとしても、どうにもならないし、向こうも無視して終わりだったかな。私はもちろん声はかけなかったでしょう。
今中学時代を振り返ると、チョコレートをもらった子と、小学校の時に好きだった子たちと、恋愛感情が起きない普通にいるクラスメートの女の子たちが私のまわりにいた。そういう子たちに、どれだけ私から働きかけられたかというと、だれかと「付き合う」ということをしたいけど、それが誰というのは決まらないし、誰が好きという決め手もなかったかもしれません(誰かと付き合っている見栄が欲しいだけであり、その子とどんな関係になりたいかのビジョンがなかった)。
クラスには女の子はいます。恋愛感情を起こすきっかけもない。クラブでのふれあいもない。放課後みんなでどこかへ行くとか、校舎の屋上で跳んだりはねたりする、ということもありませんでした。淡々とした日常があっただけです。
私の中学時代は、女の子と「付き合う」ということに関しては全く開かれなかったし、きっかけもチャンスもないし、「付き合おう」という努力もしなかった。
だから、中学の同窓会に出ても、誰とも話す人が見つかりませんでした。あわれな大人になっていました。それでも、果敢に話していけばいいのですが、適当に食べて飲んでいただけでした。
中1の時、新しい校区から来た子らについつい目が行って、あの子が好き、この子が好きと思いつきをぶちまけていた時がありました。むやみやたらに誰でも好きな子が作りたかったのでしょう。
そういう私の身勝手わがまま話を聞いてくれた、バレー部の女の子がいました。彼女は大柄で、いかにもバレー部という感じなんだけど、いろいろと話はしてくれるし、一緒にいたら楽しい人でした。明るくて、クラスの副委員長にもなるくらい前向きでしっかりした子でした。
本来は、そういう人と長く付き合って、その関係を大事にして、いつまでも友情を続けていって、いつかそれが違う形に変わるというのもあるんでしょう。そういう恋愛の話も聞いたことがあります(こちらの都合のいいように書いています。向こうとしてはお話にもならないとは思います。向こうもいつまでも友だちでいたいと思ってもらわなくては!)。
でも、彼女とは2年生からは違うクラスになり、接点がなくなって、一緒に話をするチャンスはなく、自然と遠ざかりました。残念ながらそれきりでした。
もう少し大人になってから、彼女の実家があった辺りに行くことがあって、今はどこにいるんだろうなと気になる人ではありました。中学校の同級生の中では数少ない気になる子でした。素直に話せる、実は貴重な女の人だったはずでした。
その子は? その子は向こうのテーブルに、バレー部の女子5人で固まっていました。とてもそこへ、彼女だけを目当てに話をしに行くことはできなかった。
声をかけたい子は1人だけ見つかった。でも、そこには行けなかった。仕方なしにやみくもにビールを飲んでるだけです。
当然、何度もトイレに行かなくてはならない。何しろオッチャンはトイレが近いのです。二回目くらいにトイレに立ったとき、トイレから帰ってきたバレー部だった女の子に出会いました。私はもう話したいという気持ちが前面に出ていたことでしょう。
彼女は、中1の頃のように、気安く私を受け止めてくれて、中学から今まで、短大を出て採用試験を受けたけれども受からなくて、あれこれしているうちに結婚して、ダンナさんと一緒に埼玉に行ったりしたけれど、今は帰ってきて、大阪の南部の貝塚市に住んでいるというのだと教えてくれました。
彼女の消息が聞けてうれしかったのです。ただの経歴なんだけど、彼女はわりとしっかりした人生を過ごしてきたのか、やはり、彼女らしい人生だった。私は彼女と全く関係のない人生を送ってきて、四十数年ぶりに再会して、昔の仲間がこうして今も昔と同じように過ごしていると、わりとそれだけで感動していました。
私も短時間だけど、自分のこと話したかな。でも、三重県に住んでいることくらいしか話せなかったかもしれません。
「そいじゃ」とテーブルに向かうその子の後ろ姿は、昔はとても大柄に見えたのに、私とそんなに変わらなくて、普通の女の人みたいな感じでした。でも、彼女らしいオトナ感は出せていたと思いました。
彼女と一瞬話せただけで、同窓会に参加した意義があったじゃないですか!
人は年を取る、でも、その人らしさというのは変わらなくて、変転があろうとも、人の本質みたいなものはそのままずっと保持したままに続いていく。
たぶん、私もそうなんでしょう。中学になってから、スケベじゃなくて、真面目な勉強家になろうとしたし、エリートになりたいみたいな野心があったけど、それは私そのものではなくて、私は昔も今も、はすっぱ好きの、やみくも野郎で、先のことなんて考えていないアホウです。たぶん、これはずっと変わらないのでしょう。
彼女はお子さんはいないと、みんなに話していました。彼女なら、とてもいいお母さんになれたのに、何だか神様が不公平なのを思いました。でも仕方がありません。私は、一次会で帰らなければならなかった。
二次会は同じところでリセットして行われるのに、私は帰ることにした。とにかく、彼女と少しだけ話せた。当初同窓会でそんな幸せなことが起こるなんて思ってもみなかった。でも、とにかく、思いがけない人に会えた。たぶん、もう二度と会えないと思います。それが人生というものなのかな。
それから、写真があまりに小さくて何にも見えていなかった卒業アルバム、その小さな写真を大写しにした動画も見せてもらって、延々と小さかった写真を大きく見せてもらいました。すると、何十年も前の昔の仲間が、その時の表情を今改めて見せてくれているようで、そうした知らない仲間の姿に出会えて、写真だけでセンチメンタルに感動しました。私は視覚的な刺激には弱いようです。
他には話はなかったかなあ。