中三の大事な時期の後半、二学期から三月までずっと、先生たちはあちらこちら飛び回っているということでした。
三年生の担任は、授業を自習にしてでも、外回りをしないといけないらしい、というふうに聞かされていました。ちゃんと自習したのか、大切な時期なのに、どれくらい真面目に取り組んだのか、少しアヤフヤです。
でも、自分では、それはまたそれで楽しい時間が過ごせたと思っています。自習もしたり、しなかったりだったけれど、気の合った友だちと教室を抜け出して、といっても遠くに行くわけじゃなくて、教室の前のグランドの端っこに出て、サッカーゴールにぶら下がったり、座り込んだりして、寒いのに、つまらないテレビの話、エッチな話、女の子の話など、延々としていました。
私は、知識は貧弱だし、経験は足りないし、エッチ情報は知りたいけれど、深夜テレビも見ていないし、雑誌も買わないし、そういうことを教えてくれる大人もいないし、友だちだけが頼りでした。
そうでした。私は根性なしだったから、陸上部なんて、一年生の最初の一週間でやめてしまうくらい、体力も根気もなかったから、先輩もいなかったんです。
だから、エッチなことを教えてくれる友だちは貴重でした。あまりにいろんなことを教えてくれるので、変なとこだけ気が回る私は、彼に「ピンク」というあだ名をつけてあげたんでした。彼は、つまらないあだ名だなと思ったでしょうけど、特に否定はしなかった。なるようにさせてたのかな。
エッチな話も好きだけど、彼は映画も好きで、テレビで放映された映画のこととかも教えてくれた。チャールズ・ブロンソンや、ブリジッド・バルドーとか、彼がいろいろとこんなことしてたとか、再現してくれるんだけど、見てなくても何だか見たような気分で、目をキラキラさせて聞いてたでしょうね。
私に、何か話すネタはあったんだろうか。一方的ではないはずだから、何かは話したと思うけれど、たぶん、つまらないテレビの話題しか取り上げられなかったでしょう。お笑いもダメだったと思うし、私って、取り柄のない子どもでした。でも、彼と一緒にいるのは楽しかった。
お話にも飽きたら、教室に戻って、少しは勉強の真似ごともしたでしょうか。勉強の教え合いとか、したかな。記憶にないですね。
あまりにひまだから、黒板に落書きだってしましたよ。そして、変てこな絵もいろいろと描いた。とはいっても、あけすけなのは描けないから、何だか訳の分からないものを描こうとして、やたらお釈迦さんみたいな、阿弥陀さんなのか、大仏さんなのか、それは分からないけど、イメージとしてはお釈迦さまをことあるごとに描きました。
教室に救いを! というメッセージではなくて、何となく浮かんできたものがお釈迦さまでした。
たぶん、芥川さんの「蜘蛛の糸」のイメージは心の底にありました。いつも、お釈迦さまは、地上の世界がどうなっているのか、いつも気にかけてくださっていて、何かしてあげられることがあれば、運命のいたずらみたいなことをしてあげようとしてくれるような、見てくれている存在という意識がありました。
それから、高校生になってちゃんと西遊記をフルで読んだくらいだから、あこがれは持っていて、私たちは、いろいろとあがいているんだけど、結局はお釈迦さまの手の中で、ああ、たくさんのことをしたし、遠くまで来たもんだとか思っている。すべては大きな存在の中なのに、本人だけがささやかに達成感に浸っていること、そういうこともあるなあという意識はあったでしょうか。
そんなこんな、なかなか授業の進まない、空白だらけの中三の冬の日々、そこに浮かび上がるお釈迦さま、というのを突然思い出しました。
どうしてなんだろう。もう九月も終わりで、2020年も終わりそうな気分だからでしょうか。
それとも、甥っ子がたまたま中三で、彼のことをふと思ってみたんでしょうか。
まあ、それらすべてですね。外に気持ちが行かなくて、淡々と目の前のことをこなすだけの日々になっています。
少しでもいいから、何か変化があればいいのにな。お休みは、そんなに要らないんです。ずっと家に閉じこもってるだけだから。運動もしないし、お腹だけが発達するばかりです。