どこで見つけた文章だったのか、海岸好きの私は、ウキウキしながら打ち込んだんでしょう。「浜」というのを定義してくれていて、スカッとする思いでした。お父さんの太宰治さんも、こんな切れ味のいい文章を書いたでしょうか。もう少しグズグズするところがあった気がするんだけど、違ってたかな。
★ 浜
海と陸の接線を、人は海岸と呼び、陸岸とは呼ばない。浜も、水の領域の文字である。他の国の言葉ではどのようになっているのか、確かな知識は持ち合わせていないが、やはり海岸は海の一部、と見なしているのではないか、という気がする。
海と陸の接線を、人は海岸と呼び、陸岸とは呼ばない。浜も、水の領域の文字である。他の国の言葉ではどのようになっているのか、確かな知識は持ち合わせていないが、やはり海岸は海の一部、と見なしているのではないか、という気がする。
海岸は海の一部でしたね。確かにただの砂地なら、違う呼び名があるだろうし、砂の浜でも、石の浜でも、岩の浜でも、大きな川の河口でも、海がそばにあると「浜」になります。だから、「浜」は海の一部なのです。確かにその通りです。
海岸は既に、人の領域ではない。海、という一つの巨大な生き物の足の指先である。人がその体に触れることを許されている場所は、そこだけなのだ。大昔、人がそこで貝を拾い、魚をとるとき、海なくしては生きられない自分を感じ取っていたのに違いない。太陽はそこで生まれ、そこに沈んでいった。
海は、私たち人間どもを生かし、育て、ずっとつきあってくれている偉大な存在でしたか。あまりに偉大過ぎて、私はそこに触れるのが怖くて、もう何十年も海の中に入ったことがありません。……と考えると、うちの近所のサーファーさんなんかは毎週入っているんだから、仕事もちゃんとしているんだから、大したものです。あそこまで行くと、割と自然に入れるんでしょう。
まあ、私には無理です。私は耳に水が入っただけでパニックになるとんでもない野郎でした。
寒さの厳しい地方では、人は海に荒ぶる神を感じていただろう。そして、熱帯の人は白い砂浜に立ち、海の輝かしい青を眺めるとき、浄土をそのかなたに信じた。
沖縄では、にらいかないと呼ぶ、海上の浄土信仰がある。にらいかないの神は折あれば船に乗って人の村に来る。その足がまず踏みしめる地は、白い砂の浜辺であった。〈津島佑子『小説の中の風景』(1982)より〉
そうでしたね。海の向こうというのは、たいていは見えません。瀬戸内海みたいなのが珍しいのであって、海の向こうはたいてい絶壁でした。はるか向こうまで行ったとしても、陸はないのでした。
そうでしたね。海の向こうというのは、たいていは見えません。瀬戸内海みたいなのが珍しいのであって、海の向こうはたいてい絶壁でした。はるか向こうまで行ったとしても、陸はないのでした。
そんなところをどうして渡ろうとしたりする人がいたのか、人という生き物の能天気さというのか、明るさというのか、向こう見ずというのか、そういう先人たちのおかげで、今の私たちは海というものを知ったような気になっていますが、本当はどうなんでしょう。
崖になってて、端っこまで来たら、転落するというのは、発想として面白いです。でも、海に生きる人たちは、どこまでも海があるだけだ、いつかどこかに着くだろう。そういう気持ちでいたでしょうか。
浜って、私たちが生き方を問われる、問い直す場所だったんですね。