★ その9 初瀬街道をあと少し
かゝる所からは、ことなる事なき物にも、見きくにつけて心のとまるは、すべて古(いにしえ)をしたふ心のくせなりかし。猶(なお)そのわたりにたゝずみありく程に、御堂(みどう)のかたに今やうならぬみやびたる物の音(ね)の聞こゆる。
こんなふうに、それほどのものでなくても、見るにつけ、聞くにつけ心が突き動かされるのは、すべて私たちの古いものを慕う心のクセのようなものなのでしょう。しばらくその辺りでたたずみ歩いているうちに、本堂の方で今風ではない、雅な物音が聞こえてきました。
かれはなにぞのわざをするにかと、しるべするをのこにとへば、この寺はじめ給ひし上人の御忌月(おおんきがち)にて、このごろ千部のどきやうの侍る、日ごとのおこなひのはじめに侍るがくの声なりといふに、いときかまほしくていそぎまゐるを、まだいきつかぬ程にはやく声やみぬるこそあかずくちをしけれ。
この音は何をしている音なのかと、案内をしてくれている男の人に訊ねてみますと、長谷寺を開山した道明上人の亡くなられた月であるそうで、このところ千部のお経を読むということでした。毎日の勤行(ごんぎょう)の最初に鳴らす音楽だということでした。聞きたく思い、音のする方へ参りますと、そこへたどり着く前に音楽は聞こえなくなりました。ああ、とても残念な感じで、タイミングが合わなかったのが悔しかった。
又みだうのうちをとほりて、かのつらゆきの梅のまへよりかたつかたへすこしくだりて、がくもんする大とこたちのいほりのほとりに、二本ふたもとの杉の跡とてちひさき杉あり。又すこしくだりて、定家(さだいえ)の中納言の塔なりといふ五輪なる石たてり。このごろやうの物にて、いとしもうけられず。八塩の岡といふ所もあり。
本堂の中を通り、貫之ゆかりの梅の前から下っていくがあったのでそちらへ降りていきました。学問修行をする僧たちの庵のそばに、『源氏物語』にも描かれたふたもとの杉という小さな杉がありました。さらに降りていくと、藤原定家ゆかりの五輪の塔もあります。まるで最近のようなもので、本当にそうなんだろうかと思ってしまいます。八塩の岡というところもあります。
なほくだりて川辺にいで、橋をわたりてあなたのきしに玉葛(たまかずら)の君の跡とて庵あり。墓(つか)もありといへど、けふはあるじの尼、物へまかりてなきほどなれば門さしたり。すべてこのはつせにそのあとかの跡とてあまたある、みなまことしからぬ中にも、この玉かづらこそいとも/\をかしけれ。かの源氏物語はなべてそらごとぞともわきまへで、まことに有りけん人と思ひて、かゝる所をもかまへ出(い)でたるにや。
そのままどんどん下っていきますと、橋があり、そこを渡ったところに玉鬘の君の住まいの跡という草案がありました。お墓もあるそうですが、今日は庵の主はおられないのか、門は閉まっていました。この長谷寺のあちらこちらにいろんな方の縁(ゆかり)の場所があり、どれも本当のことなのか怪しいものがたくさんあり、その中でもこの玉鬘ゆかりというのはとてもおもしろいことです。『源氏物語』はすべて空事、現実に基づいて作ったものではないのに、本当に実在した人だと思って、このような庵を作り出したんでしょうか。
このやゝおくまりたるところに、家隆(いえたか)の二位の塔とて、石の十三重なるあり。こはやゝふるく見ゆ。そこに大きなる杉の二またなるもたてり。又牛頭天王(ごずてんのう)の社、そのかたはらに苔の下水といふもあり。こゝまではみな山のかたそばにて、川にちかき所なり。
さらに奥まったところ、家隆の塔という石造りの十三重の塔があります。これは少し古そうに見えます。またも大きな杉があり、二またになって立っています。牛頭天王のお社と、その横に苔の下水というのもあります。ここまでは寺のある山の斜面にあり、降りていくと一番下に川があります。
* 牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地にちなむ祇園精舎の守護神とされた。蘇民将来説話(そんなのあるんですね)の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹(すいじゃく)であるとともにスサノオの本地ともされた。
京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視された。〈ウィキペディアより〉
それよりかのよきの天神にまうづ。社は山のはらにやゝたひらなる所にたゝせ給へり。長谷山口坐(はつせのやまのくちにます)神社と申せるはこれなどにもやおはすらん。されど今は、なべてさる事しれる人しなければ、わづらはしさにたづねもとはず。大かたいにしへ名ありける御社ども、いづくのも、今の世にはすべて八幡天神、さては牛頭天王などにのみ成り給へるぞかし。
与喜天神(長谷寺から見ると左手)というお社にお参りします。お社は山の中ほどの平らな所に建てられています。長谷山口坐神社と申し上げるお社もこちらにはあるそうです。けれども、私たちはあまりこちらのことに詳しい人がおらず、どこにそのお社があるのか、訊くことをしませんでした。昔有名であった神社なども、いつの間にか、八幡さまか、牛頭天王などになってしまったのでしょう。
このわたりすべてこぶかきしげ山にて、杉などは多かれど、名にたてる桧原(ひばら)は見えず。この川かみには桧(ひ)の木もおほしとしるべのをのこはいへりき。かくてこの山のうちめぐりはてて里におりける程、又雨ふり出でぬ。
この辺り(長谷寺から初瀬街道を西へ、桜井方面の東西の山沿いの道)は木々のたくさん繁った山々となっており、杉はたくさん植わっています。名の知れた桧原というのは見えません。川上には桧の木もたくさんありますと案内の人は言っています。さあ、いよいよ山あいの道を抜けて里へ下りる坂道にさしかかったところで、ふたたび雨が降り始めました。
けふは朝より空はれそめて、やう/\青雲も見ゆるばかりに成りしかば、今はふようなめりとてとくとりをさめつる雨衣(あまぎぬ)、又しもにはかにとりいでてうちきるもいとわびし。
ぬぎつれど 又もふりきて 雨ごろも かへすがへすも 袖ぬらすかな
ぬぎつれど 又もふりきて 雨ごろも かへすがへすも 袖ぬらすかな
今日は朝から晴れてきて、少しずつ青空も見えるほどの天気になりましたので、雨具はいらないだろうとしまっておいたけれど、急に取り出して着るのも、なんとも情けない。
今日は使わないと脱いだ雨衣だけれど、また雨が降り、ひっくり返したり乾かしたりした服の袖を雨に濡らすのですね。
また雨が降ってきました。宣長さん、雨にたたられていますね。春の雨は冷たくていけないですね。濡れて帰ろうなんていう気分にはならないな。
体が冷えて風邪ひきそうです。花粉症とか、当時はなかったのかな。やはり、現代病なんだろうか。
★ 3年前に長谷寺に行って、しんみり撮ってた白黒写真がすごく役に立っています。まさかこんなことになるとはね。