いよいよこのネタも取り上げようと思います。
私の小説遍歴の原点の一つだと思われます。芥川さんの作品や、司馬遼太郎さんや、畑正憲さん(ムツゴロウさん)など、中学から高校にかけて小説を読みました。
そして、たどり着いたのが梅崎春生さんの「幻化」でした。新潮文庫で読みました。今、手元にあるのは76年の2月に天王寺のユーゴー書店で買った本でした。それから44年間身近に置いてあるんです。
わりと早い時期に買って、それなりに入れ込んでたんだと思われます。高校生になったばかりは、自分の原点探しもしていたんです。
手っ取り早いのはカゴシマものを読むこと。そして、戦中戦後を題材にしたものを読むこと。戦後派の作家を読むこと。戦争を知ること。自分なりにあれこれと手を出して読んでたと思います。
もちろん、勉強はしなかったんですね。数学・化学はまるで分らなかった!
それで、その頃に梅崎春生という作家に出会った。
名前は知ってたけど、なかなかハードルが高くて、読もうという気になれなかった。それでも、果敢に挑戦して「桜島」を読んだんでしたっけね。
高校1年の頃、田宮虎彦の「足摺岬」も読みました。教科書に載ってた。
そういう人たちを、広く浅く読もうとして、「桜島」に出会う。
薩摩半島の南の湾で、通信兵として勤務していた主人公が、戦争末期に桜島の通信基地に配属され、そちらに移ったところで同僚が敵機の機銃掃射で打たれてなくなり、それからしばらくしたら終戦になって、何のための命だったのかと嘆くような内容だったんじゃなかったかな。
そういう作品で戦後の文壇に現われた梅崎さんは、やがて「幻化」という作品を書くことになるのですが、それが1965年に出ていたんでした。そんなに古いことではなくて、ついこの間みたいな感じ。でも、今から見たら、55年前になってしまいます。
「桜島」の反対で、東京から飛行機に乗り、桜島、薩摩半島の南、そして、よみがえりの聖地・阿蘇山へと旅する物語でした。
★ 幻化 梅崎春生
同行者
五郎は背を伸ばして、下界を見た。やはり灰白色の雲海だけである。雲の層に厚薄があるらしく、時々それがちぎれて、納豆の糸を引いたような切れ目から、丘や雑木林や畠や人家などが見える。しかしすぐ雲が来て、見えなくなる。機の高度は、五百米(メートル)くらいだろう。見おろした農家の大ささから推定出来る。
飛行機の中から物語は始まります。同行者というくらいだから、主人公についてくる人が見つかるんです。飛行機の窓から何が見えるんでしょう。プロペラ機のはずだから、そんなに高いところを飛んでなくて、3,000メートルくらいの高度で飛んでいるはずで、ずっと地面を見ながら旅しているはずでした。
五郎は視線を右のエンジンに移した。
〈まだ這(は)っているな〉と思う。
〈まだ這(は)っているな〉と思う。
それが這っているのを見つけたのは、大分空港を発って、やがてであった。豆粒のような楕円形のものが、エンジンから翼の方に、すこしずつ動いていた。眺めているとパッと見えなくなり、またすこし離れたところに同じ形のものがあらわれ、じりじりと動き出す。さっきのと同じ虫(?)なのか、別のものなのか、よく判らない。幻覚なのかも知れないという懸念もあった。
主人公は五郎さんというらしい。本人は自分の見るものにイマイチ自信がなくて、半信半疑なところがあります。何しろつい何日か前まで病院に入っていて、そこをパジャマのまま抜け出して、何の気なしにカゴシマ行きの飛行機に乗っているのです。
昔の飛行機なので、何度か給油をせねばならず、大分で一度着陸したということでした。
病院に入る前、五郎にはしばしばその経験があった。白い壁に蟻が這っている。どう見直しても蟻が這っている。
近づいて指で押えようとすると、何もさわらない。翼の虫も触れてみれば判るわけだが、窓がしまっているのでさわれない。仮に窓をあけたとしても、手が届かない。
五郎は機内を見廻した。乗客は五人しかいない。
五郎は機内を見廻した。乗客は五人しかいない。
五郎さんは、何度か幻覚を見たことがあったそうです。戦争が終わって二十年くらい経過しています。戦争の時に若年兵だった五郎は中年のオッサンになっていました。
病院って、何の病気なんでしょう。心の病だったんでしょうか。そういう心身ともに不安を抱えた人たちが60年代半ばでも、日本にはたくさんいたということなんでしょうか。
この不安な感じから、主人公の再生へと物語はつながっていくので、またしばらくしたら、つづきを貼り付けますので、どうぞよろしくお願いします。私のカゴシマ写真も整理しなくっちゃ!