甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ひまわりとタケノコ

2022年04月17日 05時59分25秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 昨日、タケノコを買いに立梅用水のそばの農家レストランのところに行きました。ここは、近所の農産物も販売しているところです。この前はそんなにお客さんがいなかったけれど、11時前だったので、お客さんたちが店の前で並んでいました。ナゴヤナンバーの車もありました。まあ、当然の世の中です。わざわざ食べに来てくれているんですから、有り難いと言わなくちゃならないね。

 1週間前と比べると、かなり安くなっていて、奥さんはうちの大阪のオカンに送ろうと、大きなのを4つ買いました。千円と少しくらいかな。

「そんなに食べへんでー」と私が言うと、
「ウチで食べるんだよ」と奥さんは言います。
そうか、いよいよ、うちでもタケノコが食べられるようになったのかとしみじみと一瞬しました。栄養があるのかどうか、それは分からないけど、何だかありがたい気がしますから、食べさせてもらえるなら、喜んで食べたいです。

 そうだ、一週間前に買ったエンドウ豆はどうなったんだろう?
と訊いてみたら、「まだ、あるよ」ということでした。

 そうか、豆ごはん食べさせてもらってなかった。あの豆加減といい、ほんのり塩が感じられたりするあの味、味オンチの私でも感じられるおいしさでした。残念ながら、うちの子はそんなに好きじゃないみたい。


 奥さんは、立梅用水の方を見て来ようといいます。そうか、じゃあ、行ってみるかと、ほんの少し坂道を上ると、向こうの方でカラカラと音がしました。山が少しだけ東側に開いた谷のところに風車がきれいに並べられて、私たちが坂を上ってくると同時に、変な奴らが上ってきたぞと風車が回っているようです。

 あんなにものすごい乾いたカラカラという音がしたかと思うと、ピタッと止まって、まるで生き物が何かの意志で動いているみたいに、静と動を繰り返しています。上っている時はわかりませんでしたが、正面から見てみたら、水色と黄色のウクライナ・カラーになっていました。

 こんな仕掛けを作るなんて、立梅用水保存会のみなさんも洒落たことをしている。まわりのささやかなことから連帯して、少しでも事態を変えていく。それが私たちにできることなのですね。


 先日から、気になってたんですが、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」はウクライナで撮影したということでした。

 そして、夫(マストロヤンニさん)を探しに来たソフィア・ローレンさんは、夫がロシアの女と一緒に暮らしているのを見て、すぐさま汽車に乗って帰ってしまうんですが、あれは、ポーランドで乗り換えしないと、イタリアには帰れなかっただろうなと思ったんでした。

 ソ連領内は広軌の車両が走っていて、欧州は標準軌だから、乗り入れはできないので、どこかで乗り換えが必要でした。地図上でつながっていたとしても、直通運転はできないなんて、そこがレールの不思議なところでした。


 デ・シーカ監督は、「自転車泥棒」(1948)で名前を上げた人でした。ネオ・リアリスモということで、イタリアのリアルを追求していた。「昨日・今日・明日」(1963)でアカデミー外国語映画賞を獲得し、1970の「ひまわり」へと続きました。たまたま私はこの三本は見ています。

 それで、ソフィア・ローレンさんも好きでした。彼女が出ていたら、何となく名作みたいな気分でした。

 「ひまわり」は、マストロヤンニさんと、ソフィア・ローレンさんが夫婦役で、二人は結婚しますが、夫はソ連戦線へ駆り出されます。イタリアは第二次世界大戦において、すぐに降参したのかと思ってたら、ソ連にもいやいや行かされていたようで、イタリア男はシベリアで倒れていた。

 それを助けてくれたのがロシアの女性で、リュドミラさんでした。


……「戦争と平和」にも出ておられたリュドミュラ・サヴェリーエワさん、「ひまわり」にも出ておられた。もう好きな役者さんだらけの映画でしたね。

 スターリンの時代、ソ連ではクリミア半島の人たちとか、何かの計画があったらしくて、ウクライナの人たちもシベリアに強制移住させられていて、リュドミラさんもたまたまそこでイタリア男性を助け、一緒にウクライナに帰って、そこで暮らすことになっていた。

 一面のひまわり畑は、映画の冒頭にも出てくるし、作品のタイトルにもなるくらいだから、ウクライナを象徴していた。静かな大地にどこまでもこちらに顔を向けて立っているひまわりたち、見ようによっては人の顔に見えて、たくさんの人の気持ちが静かにこちらを向いているようにも見えたりする。


 何かの情報で、ウクライナあたりにあなたのダンナはいるよ、と聞かせてもらったのか、ソフィアさんは汽車を乗り換え、ウクライナの町まで来た。そうしたら、ダンナはそこの女性と一緒に暮らしていたではありませんか。

 戦争は人の間を切り裂くものだけれど、男というのは、ついつい情にほだされる、ホイホイそのまま流れてしまう生き物なんだよな、どうしてキッパリとイタリアに帰れないんだよ、どうしてそんなとこで生きているんだよ、とは思うけれど、そういうだらしないところをマストロヤンニさんが演じてくれていました。

 ヒマワリは、夏までで、収穫したら、今度は麦を植えて、麦がすんだらヒマワリというそういうサイクルで農業していたのかなと思ったんでした。



 ウクライナの麦は、どうなっているかなあ。収穫なんて、夢のまた夢なのでしょうか。 

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